石部駅家をめぐる課題

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石部駅家は、『雅実公記』にしか「石部駅家」の記載がみられず詳しいことは不明であるが、伊勢勅使が宿泊する「假屋」・「借屋」の施設があったものと考えられる。『帥記』には、「鈴鹿駅」に「借屋卅宇」があることを記しており、かなりの規模の宿泊施設が存在していたことが推察できる。
 永久二年(一一一四)二月十日に伊勢勅使として出発した藤原宗忠(むねただ)が記した『中右記』では、勢田から甲賀駅家に宿泊しており、石部の記述はみられない。しかしながら、一時期であっても石部に伊勢勅使の宿泊施設が設置されていたことは、交通の要所として重要な位置にあったことを示しているといえよう。
 また、これらの日記の中に、『延喜式』に記された岡田駅家の記載がみられない。このことは甲賀駅家以外の栗田駅家・石部駅家などの宿泊施設が存在したことと何らかの関係があるのではなかろうか。残された課題として指摘しておきたい。