もともと神のやどる所、つまり聖地と目されていた神籬(ひもろぎ)・磐座(いわくら)・磐境(いわさか)は、祭祀をとり行う場であったが、稲作農耕の普及により祭祀集団が固定されるにしたがい、自然物のあるだけの聖地から、祭祀機能を備えた精神生活のよりどころとして神の社(祠)が作られていく。先・原史時代から古代へと移り変わるにしたがって神社が出現し、現代へとつながってくる。祭政一致のなごりとして律令期に入ると政府は伊勢神宮を頂点として神社を官社化し、統制をはかる。この過程で官社と認定される神社が、最終的に『延喜神名式』に載せられた、いわゆる式内社(しきないしゃ)である。石部町にも式内社として所在地が不明確ではあるが、石部鹿塩上神社(いそべかしほのかみやしろ)が推定されている。これについては、第二章第三節で述べられている。また、神社と寺院が同一境内地に位置する神仏習合の形態も、奈良時代ごろから発生したと考えられており、古社を検討する上で欠かせない観察である。このような検討・観察にもとづき、石部町内に鎮座する主要な神社について紹介する。
なお、『甲賀郡志』には大字東寺に由緒不詳として大真神社(字輪粧(わしょう))、野神社(字広野(ひろの))、愛宕(あたご)神社(字輪粧)の三社がみられることも記している。