現在大字石部字宮の森にあり、祭神は茅葦津姫命(かやあしつひめのみこと)・吉比女(よしひめ)命と伝える。甲賀郡の式内社である石部鹿塩上神社の後身とされ、旧社地は谷の「黒の御前」で、弘仁二年(八一一)の災害により、石部の町の西側に祭られた吉御子神社とともに、東側に祭られたものと伝えられる。その際、初めは上田(うえだ)に位置し、寛保(かんぽう)三年(一七四三)に現社地に遷座したと伝えられる。よって、当社は、吉比女大明神・上田大明神と称された。現在水田の広がる上田の古宮伝承地は、吉御子神社と同じく野洲川を向いた御旅所となっている。付近より高い土地ではあるが、本来は野洲川の氾濫原となっているところであり、丘陵末端の現社地と比しても、立地する条件は悪い所と考えられる。
ちなみに、石部の町中で開基が平安時代の弘仁年間(九世紀はじめ)にさかのぼる寺院は、上田蓮浄開基と伝える蓮乗寺で、石部の町の東側にあり、吉姫神社の現社地に近いことは、神仏習合の形態と式内石部鹿塩上神社の旧社地を考える上で注目される。
社名は明治元年(一八六八)に上田大明神から吉姫神社となり、現在の氏子域は大亀町以東である。