甲賀郡の式内社である石部鹿塩上神社の後身と伝えられる。旧社地は谷の「黒の御前」に鎮座していたもので、弘仁二年、災害により石部の町の東西に分社され、西側に鎮座したと伝わるものが吉御子神社である。
現在当社は、石部の町の北西の入口付近に位置し、旧東海道と推定される(野洲川沿い・五軒茶屋越・金勝川流域から石部山越)いずれのルートも集まる所である。当社所蔵の絵図に背後の石部山中に鹿塩山とみえるのは、式内社のなごりか、旧社地谷の「黒の御前」の背後の丘陵をさしているのか興味深い。当社地から北東の氾濫原に御旅所が設けられている。現在の氏子域は谷町以西である。
写23 吉御子神社(左)・吉姫神社(右) 吉御子神社本殿は上賀茂神社(京都市)より慶応元年(1865)に移築したもの。吉姫神社の夏越の祓「茅の輪くぐり」は近隣では珍しい。