近世鎮座の神社であるが、川ないし水に対する信仰を宿しているので、便宜上ここで述べておく。大字石部字東河原にあり、祭神は天照大御神。萬里川七郎兵衛による新田開発時に川崎大明神と称する氏神祭祀を始めたのが当社の創始と伝えられる。
野洲川と落合川の合流点の東側に鎮座している。野洲川氾濫原の低湿地にあたり、水の調整がしやすい石部の町周辺より開発が遅れたと考えられる。現在、起田(しんでん)と呼ばれる地域の鎮守社である。野洲川本流と天井川となっている落合川の合流点に鎮座するため、本来、社名になっている川あるいは水に関する信仰をもっていたと推定される。
現在ある社殿は寛保三年、拝殿は文化六年(一八〇九)にそれぞれ再建されたと伝えるものである。