阿星山北東山麓に位置する東寺地区の長寿寺(天台宗)境内に鎮座し、東寺地区および長寿寺の鎮守社となっている。三聖神社と同様に神仏習合の形態をみせる。長寿寺は天平年間(八世紀中ごろ)に良弁による開基と伝えられ、『東寺地区共有文書』の弘安十年(一二八七)二月の「左衛門尉平某寄進状」に、「社堂仏前」とあることから、鎌倉末期に社殿が存在していたことは確認される。長寿寺の山号は阿星山(あせいざん)であり、奇岩の風景をみせる花崗岩山地であること、近代に至るまで白山権現と称されてきたことから、山(阿星山)に対する信仰をもってきたことも事実である。ちなみに、白山比〓神を祭神とする同名の神社は観音(かんのん)寺(栗太郡栗東(くりたぐんりっとう)町観音寺)境内にもあり、また常楽寺衆徒に立山曼荼羅(竹内淳一氏蔵)が伝えられ、後世、当地にも白山・立山の北陸修験道が流入したことが認められる。岩石を露呈して山容が類似している上田上にも白山神社がある。このように山に対する信仰が早くから生まれていたことを考えると、当社での祭祀の古さがうかがわれる。
写24 川崎神社(上)・三聖神社(中)・白山神社(下) 三聖神社は西寺の向ノ尾にあり、常楽寺の鎮守社、白山神社は東寺の安穏谷にあって長寿寺の鎮守社である。川崎神社は新田開発にともなって建てられた。