常楽寺は元明(げんめい)天皇の和銅(わどう)年間(七〇八~七一五)に金粛(こんしゅく)(金蕭とも)菩薩が創めた阿星寺の後身と伝え、長寿寺は聖武(しょうむ)天皇の天平(てんぴょう)年間(七二九~七四九)に良弁が開いたという。
寺伝によれば、両寺とも奈良時代の創建ということになるが、これはあくまで伝承上のことである。金粛菩薩や良弁が開いたという寺院は常楽寺、長寿寺に限られず、石部の周辺にかなりある。
たとえば、阿星山と連なっている金勝(こんぜ)山中の金勝(こんしょう)寺(大菩提(だいぼだい)寺、栗太郡栗東(くりたぐんりっとう)町荒張(あらはり))は元正(げんしょう)天皇の養老(ようろう)元年(七二二)に金粛菩薩が開基したといい、またこの金勝寺と「甲賀大川(こうがおおかわ)」(野洲川)を挟んで対隔の地にある少菩提(しょうぼだい)寺(廃絶、甲賀郡甲西(こうせい)町菩提寺)は金粛菩薩の霊蹟、霊亀(れいき)元年(七一五)良弁の開基と伝えている。また唯心教(ゆいしんきょう)寺(廃絶、栗東町高野(たかの))は慶雲(けいうん)二年(七〇四)金粛菩薩の開創、正福(しょうふく)寺(甲西町正福寺)も金粛菩薩の霊地、良弁の開基と伝えているし、金勝寺の東北隅にある観音寺は金粛菩薩の霊蹟で、山号を阿星山と称していた(『興福寺官務牒疏(こうふくじかんむちょうそ)』)。
金勝寺を中心とする栗太郡の東部から甲賀郡にかけての、山林地域の古代寺院には、右のように、金粛菩薩の霊地あるいは良弁の開基という伝承の付与されているのが多い。そして、これらの古代寺院の多くに共通しているのは、草創期を法相(ほっそう)宗、のち天台宗に転じたと伝えていることである。常楽寺、長寿寺もまたこの例に属している。
写25 良弁僧正像 近江国の出身で、渡来系民族・百済氏の出身ともいわれる。石山寺造営において中心的役割を果した。東大寺開山堂には彼の壮年期を想起させる肖像が安置せられ、その端然とした面持ちは、じつに堂々としている(東大寺所蔵)。