重要文化財クラスの千手観音菩薩像のうち坐像の形式をもつものは、鎌倉時代以前の造顕ではいずれも大形であるのに対し、南北朝期のそれになると七〇センチメートル前後という小形像が目立ってくる。たとえば富山総持(そうじ)寺の木造千手観音菩薩像は正平(しょうへい)八年(一三五三)の作であるが、像高は約七三センチメートルである。
常楽寺の千手観音菩薩坐像は重要文化財に指定され、かつては鎌倉時代の作とされたときもあったが、現段階では南北朝時代の造顕とされている。
南北朝時代の延文再建時に造像されたのが現本尊であろう。しかし延文火災以前の本尊が千手観音菩薩像であり、すでに阿星寺本尊飛来譚をもっていたことは、延慶の「常楽寺二十八部衆勧進状」で明らかである。おそらく旧千手観音菩薩像は平安時代の古仏であったと考えられる。
金勝寺二十五箇別院のひとつである観音寺には、阿星廃寺から移置されたという平安時代の木造聖観音菩薩像があるが、常楽寺にも阿星寺本尊が飛来したとの伝承をもつ千手観音菩薩像が安置されていたわけであるから、観音寺の場合のように、平安時代にまで遡れうる仏像であった可能性が高い。
写27 常楽寺勧進状
一般的に勧進状とは、寺や仏像を建立、修繕のために金品を募ることを記したもので、これは常楽寺再興の時の記録である。和紙に金銀の砂子を散らし草木などを描いた上に墨書されている。