信綱の子息の代になると、佐々木氏から庶子家(しょしけ)が分かれはじめる。信綱の四人の男子、重綱・高信(たかのぶ)・泰綱(やすつな)・氏綱(うじつな)を始祖とする大原・高島・六角・京極の四家が分かれ、三男泰綱の六角氏が家督を継いで近江守護職についた。さらに次男高信の高島家からは越中・能登・朽木(くつき)・平井・永田・横山・田中家が分立、同じく四男氏信の京極氏から、黒田・岩山・鞍地(くらじ)・長岡・加賀の各家が出ている。氏信(うじのぶ)の兄弟に目を移すと、兄定重(さだしげ)が鏡、弟広定(ひろさだ)が馬淵(まぶち)、同時綱(ときつな)が佐保(さほ)、行綱(ゆきつな)が伊佐(いさ)、頼定(よりさだ)が山中の諸家を興している。こうして鎌倉中期以降、佐々木氏の諸流は近江全域に根づいていったのである。
図35 佐々木・佐々貴氏系図