長寿寺の境内鎮守社たる白山権現に現存する拝殿は室町時代のものである。宝暦(ほうれき)二年(一七五二)に建替えられているが、その範囲はきわめて少なく、建築上の様式・手法は室町期のものをよく伝えている。この拝殿には、永享(えいきょう)八年(一四三六)十一月に作られた三十六歌仙の扁額(へんがく)八面が最近まで掲げられていた。そのうち紀貫行(きのつらゆき)、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)らが描かれた額の裏に
奉施人博打宮御宝前
執筆蜷川新衛門
絵筆者仕(土)佐将監
勧進之事 人数次第不同
貳百文 大阿闍梨良円法印
壹貫文 西殿
二百文 甘(柑)子袋殿
二百文 永泉庵住持祐蔵主
百文 法成庵住持了意
百文 正蔵坊
永享八年 丙辰 十一月朔日
願主円岳入道宝正
敬白
と書かれている。扁額は板製であり、八面おのおのに四人ないし五人ずつの歌仙が描かれ、それぞれに和歌が書き添えられてある。絵師の土佐将監(しょうげん)は山科教言(のりとき)の日記『教言卿記』応永十三年(一四〇六)十月条に「土佐将監」としてその名が出る土佐行広(ゆきひろ)のことと思われる。宮廷絵所の絵師として活躍しているが、この歌仙板絵は彼の晩年の作である。遺作が少ないのできわめて貴重な作品といわねばならない、和歌の筆者は連歌師として知られる蜷川親當(ちかまさ)である。扁額形式の歌仙絵は室町時代になってから現われるが、白山神社の歌仙額は永享八年という年紀を有し、この形式では県下で最古の遺品として注目されている。
ところが、この三十六歌仙板絵額が奉納された博打(はくち)宮というのは、近郷の柑子袋(こうじぶくろ)にある博智大明神(上葦穂(かみあしほ)神社)のことである。この社から、いつごろ、どのような理由で長寿寺の鎮守社へ移されたのか、いまその事情を明かすことはできないが、奉納当初と同じように、白山神社でもこの額の下、神影供の和歌会が催されていたことであろう。当地の文化を知る上でも貴重な資料である。
写42 上葦穂神社 (甲西町) 白山神社の三十六歌仙扁額は、もともと上葦穂神社に奉納されたもので、額の裏面墨書には博打宮(上葦穂神社の別称)と記されている。