旧仏教中心の文化

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石部町域に残される鎌倉・南北朝期の文化財も、平安時代同様やはり仏教文化の遺産が多い。ひとくちに仏教といってもいろいろな宗派があるが、平安時代までは天台・真言両宗および南都系仏教のおおむね三派にかぎられていたといえる。しかし鎌倉時代の開幕とともに、法然(ほうねん)・栄西(えいさい)・親鸞(しんらん)・道元(どうげん)・日蓮(にちれん)らが輩出し、それぞれに一宗を興して、世はいわゆる鎌倉新仏教の時代となる。それはたしかに日本の歴史上きわめて重大なできごとではあったが、忘れてはならないのは、この時代には天台・真言・南都のいわゆる旧仏教の勢力はなおも持続していたという事実である。そしてこの時期の仏教美術の多くは、やはり旧仏教を中心として生まれているのである。
 新仏教の諸師は、ひたすら阿弥陀仏の名号を唱えること、ひたすら坐禅を組むこと、ひたすら法華経を信じることなどのみを重視し、他の諸行、たとえば堂舎の建立や仏像の造立などには高い価値を見出さなかった。したがって、新仏教諸派は仏教美術をあまり必要としなかったという言い方も可能である。しかし近江の中でも、特に長寿寺・常楽寺という天台の大寺院を擁する石部の地は、すぐには新仏教の勢力が浸透せず、中世前期にはなおも天台王国であったということができよう。したがって、この時期の文化財も多くは天台系統のものであるが、一部に浄土宗の影響はみることができるようである。