檜皮葺寄棟造(ひわだぶきよせむね)の屋根をもつ非常に温雅な雰囲気の建築である。桁行(けたゆき)五間、梁間(はりま)五間のほぼ正方形の平面プランであり、いいかえると奥行きを深くとったものとなっている。うち前二間通りを外陣(げじん)、中二間通りを内陣(ないじん)、後ろ一間通りを後陣(ごじん)とし、四面に廻廊(かいろう)をめぐらして、三間の向拝(ごはい)をつける。桁行五間に対して向拝が三間を占めることによって、建築全体に落着きが感じられる。
内部に入ると、外陣は板敷で化粧屋根裏(けしょうやねうら)をみせ、虹梁(こうりょう)をのびやかにわたし、その上に板蟇股(いたかえるまた)をおいて棟木(むなぎ)を支えている。とくに注意されることは、内陣と外陣との間が格子戸(こうしど)および斜格子の欄間(らんま)によってきっちりと区切られている点、内陣は外陣よりも床を低くとっており、あるいは当初は土間ではなかったかとみられている点、また前述したように奥行きの深い平面プランである点などであろう。このように内陣と外陣とをはっきりと別の平面上におき、その境界を厳重に区別するのは、比叡山延暦寺の根本中堂をはじめ、天台寺院の堂舎の顕著な特徴であるとされる。全体の様式からみて、藤原時代の余風を湛(たた)えた藤原初期の建築と判断されている。
長寿寺にはこのほかに県指定文化財の石造多宝塔(たほうとう)が存在する。二段の基壇(きだん)を配して基礎をおき、塔身(とうしん)、裳階(もこし)、饅頭型(まんじゅうがた)、首部(しゅぶ)とつづいて笠(かさ)をいただく。現状では笠の上に直接宝珠(ほうじゅ)がのるが、当初はその間に相輪(そうりん)があったはずである。
もともと多宝塔は法華経を所依として建てられるものであったが、我国においては高野山や根来(ねごろ)寺など真言宗寺院に多くみられ、塔内の主尊として大日如来が安置される。長寿寺の多宝塔は塔身のふくらみの様子や笠・裳階の軒の反り方などにより、鎌倉時代の作と考えられる。時代的にみて、純然たる法華信仰の所産というより、やはり密教の思想によって造られたとみるべきであろうか。石造の多宝塔は県内では仁治(にんじ)二年(一二四一)の銘をもつ甲西町菩提寺多宝塔(重文)などを除いてあまりみられず、本例の史料的価値は大きいといわなければならない。
写47 長寿寺多宝塔