建造物

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南北朝時代の仏教美術は鎌倉時代の延長線上におくことができる。一部の禅宗美術などを除けば新たな発展はみられず、絵画・彫刻などいずれをとってもややもすれば形式化した、前代の亜流といわざるをえないものが目につく。しかし、そうはいっても個々の作品にはみるべきものがないわけではない。その代表といえるのが、建造物の場合には常楽寺本堂(国宝)であろう。

 


写51 常楽寺本堂 三重塔付近より望む。檜皮葺ののびやかで豪荘な屋根が美しい(上)。本堂の軒垂木・組物に彩色を残し、往時の姿を偲ばせる(左)。

 この堂は特に三重塔付近から見おろした時の屋根の美しさに定評がある。長寿寺本堂とは対照的にのびやかで豪快な趣きの感じられる建築である。桁行七間、梁間六間の奥行きの深い構造が天台伽藍の一特徴であることは前述した。屋根は一重、入母屋造(いりもやづくり)、檜皮葺とし、三間の向拝をつける。廻廊は四面をめぐらずに側面の前より二間分で終わっており、これは近江の天台伽藍の特色のひとつとされている。柱は丸柱で長押(なげし)をうつ。正面では中央五間を格子造りの蔀戸(しとみど)、左右両端だけ連子窓(れんじまど)とし、側面にまわると前二間分を桟唐戸(さんからど)とする。
 内部に入ると、前二間通りが外陣、中二間通りが内陣と脇陣(わきじん)となり、後ろ二間通りは後陣である。内陣には柱間三間分に須弥壇が設けられて、ここに本尊千手観音坐像の厨子をはさんで二十八部衆がならぶ。内陣と外陣は菱格子(ひしごうし)の欄間と吹寄(ふきよ)せの格子戸によって厳重に区切られ、この点長寿寺本堂と同様にやはり天台伽藍の特徴をみせている。
 外陣天井は現在は全面組入天井(くみいれてんじょう)だが、当初は中央だけ天井を張って三方化粧屋根裏であったとみられている。広い後陣の列柱の重厚さには目をみはらされる。
 前述した勧進状によれば、本堂は延文五年(一三六〇)三月二十六日に焼失したが、すぐさま僧観慶の手で再建のための勧進が開始されており、まもなく完成したものが現存する本堂にあたると考えられている。ただし室町中期に大改造があった模様で、たとえば屋根なども当初は今より約一メートルほど低かった由である。いずれにせよ中世和様(わよう)本堂の代表的な作品であることはまちがいない。