彫刻

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室町時代になると、仏像彫刻はすでにその芸術的な生命を終え、新たな様式の開拓は今日にいたるまでついにみられない。かわって彫刻史の表舞台にあらわれてくるのが仮面である。
 仮面は芸能的なものに用いる面と宗教的儀式のための面とに二大別できよう。前者には伎楽面(ぎがくめん)・舞楽面(ぶがくめん)・能面(のうめん)・狂言面(きょうげんめん)などがあり、後者では行道面(ぎょうどうめん)・追儺面(ついなめん)・鬼面(きめん)・鼻高面(はなたかめん)などが主なものである。近江には、井伊家伝来の能面もさることながら宗教面も多く伝存しており、石部町域においても長寿寺・常楽寺に追儺面が一対ずつ見出される。追儺面とは節分の夜に行われる鬼やらいに用いられる仮面である。除災招福のための神事である追儺は、平安時代の社寺では修正会(しゅしょうえ)・修二会(しゅにえ)の結願(けちがん)の夜に行われたようで、常楽寺や法隆寺西円堂では現在も修二会法要の後に行われている。
 長寿寺の追儺面は頭部の丸みに特徴をもち、鎌倉時代の作とされる法隆寺の三面の追儺面(重文)に近い作風である。したがって本面も鎌倉時代の作と考える向きのある一方、逆に安土桃山時代に下げる説もある。その当否は容易には決しがたいが、本面は室町時代のものとして町指定をうけており、いまはこれにしたがって本節に採録しておく。
 一方、常楽寺の追儺面は残念ながら虫損が大きいが、近年に補修されて現在も使用されている。