貢租の変遷にみる災害

314 ~ 316ページ
先ほどみてきた年貢高の推移の中で、低率の原因と考えられる自然災害について触れておこう。先の図41でみてきた東寺村の貢租の変遷の中で、元禄十二年に定免法がとられ、その後は数ケ年を単位として年貢高もほぼ一定している。しかし宝暦六年には、その免も三六パーセントと大幅に低くなっている。その後も低率を示し、年貢高も従来の半分程度である。さらに再び明和二年(一七六五)と同八年も低率を示している。これらは免状をみると、表10のように引高が多く水害によるものであることがわかる。この時の水害については、六年後の明和八年に前年の干ばつなどの被害も含め東寺村惣百姓が土山代官所へ貢租減免の要求をしている。その内容は、宝暦六年九月に大洪水があり、山から土砂が流れ出して約一四〇石が荒れ地になってしまった。その後開墾していたが、一〇年もたたない明和二年七月に再び大洪水があり、今度は四七石が荒れてしまった。役所からは開墾を申し付けられ、農具や諸道具などを売り払って金に替えて人足や石屋を雇って開墾に励んでいるが、「当日の渡世を凌(しの)ぎ兼ね」るほど困窮し、その上明和七年は干ばつで畑作が皆無であるので、検見の際には容赦してもらえるようにというものである(『東寺地区共有文書』明和八年「乍恐以書付御願奉申上候」)。果してこれが聞き届けられたかどうかは不明であるが、この翌年も年貢高は低くなっていることからすれば、ある程度の要求は容れられたようである。
表10 東寺村における宝暦・明和期の水損引高(宝暦10年分を欠く)
年代村高井路敷引永荒引川欠引去土砂入引当土砂入引引高合取米
宝暦5年(1755)432.7050.075139.0250.337139.437156.116
  6432.7050.075139.0250.337112.824252.26165.434
  7432.7050.075139.0250.33790.2012.022231.66074.223
  8432.7050.075139.0250.33762.012201.44976.607
  9432.7050.075139.0250.33752.247191.68482.458
  11432.7050.075139.0250.33752.247191.68481.750
  12432.7050.075139.0250.33752.247191.68482.608
  13432.7050.075139.0250.33752.247191.68483.273
明和元年(1764)432.7050.075139.0250.33752.247191.68483.725
  2432.7050.075139.0250.33752.24771.872261.14966.712
  3432.7050.075139.0250.33761.889211.37977.864
  4432.7050.075139.0250.33761.791211.22880.664
  5432.7050.075139.0250.33761.6253.173204.18372.130
  6432.7050.075139.0250.33749.799189.38480.040
『東寺地区共有文書』各年次「免状」により作成

 これ以外にも、しばしば干ばつなどの被害によって作柄不良であるので検見の際に容赦願いたい、といった願書が出されている(『東寺地区共有文書』)。図10にみえる年貢高の下降は、そうした自然災害などによるものと考えられる。このように年貢免状や年貢皆済目録などから、村のさまざまな状況をうかがうこともできるのである。