近世における人口構造

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村明細帳にも人口の記載はあったが、ここで近世における石部町域の村々の人口構造についてみておこう。
 石部村・東寺村・西寺村の人口について、史料によってうかがえるものを整理したのが表11である。三ケ村ともにあまり変動はみられず、このことは大きな自然災害などによる人口の減少がほとんどなかったことや、生産力が安定していたことを物語るものでもある。
表11 近世における石部村・東寺村・西寺村3ヶ村の人口推移
村名石部東寺西寺
年代戸数人囗戸数人口戸数人口
享保6年(1721)3671879
享保17年(1732)43252
宝暦2年(1752)50
寛政9年(1797)388
享和3年(1803)3831646
天保9年(1838)50257
天保14年(1843)458160647265
嘉永元年(1848)48265
安政3年(1856)51268
安政5年(1858)4571733
文久2年(1862)51
文久3年(1863)51249
(各村村明細帳、宗門帳などにより作成。)

 次に表12は、安政三年(一八五六)の「宗門人別御改帳」によって東寺村の家族構成とその年齢をみたものである。これからすると半数を超える者が、妻と子供・両親といった五人以上の家族構成から成り、この点でも生産性が安定していたということを推察することができる。各人の持高をみると、すでに延宝期の農民階層構成で紹介したように持高五石前後の者が多く、小農村落の展開がうかがえる。また、持高五石以下の者もみられるが、これらの層では、自立した経営が成り立っていたかは疑問であり、四六石余を所有する五郎兵衛らの余剰地を耕作していたとも考えられる(『東寺地区共有文書』)。
表12-①東寺村の家族構成安政3年(1856)
戸主家族数持高家族構成(年齢)
佐兵衛(34)96.7女房(31) 娘(10) 娘(10) 弟(34) 弟(22)
父(62) 母(59) 悴(5)
権左衛門(29)810.773女房(30) 娘(11) 悴(8) 娘(5) 悴(3)
父(59) 母(57)
藤八(30)13.891父(59)
文治郎(22)516.442弟(19) 弟(16) 弟(11) 母(39)
治兵衛(32)811.069女房(33) 娘(16) 悴(9) 娘(5) 伯父(63)
父(57) 母(56)
長久郎(50)611.254女房(46) 悴(24) 嫁(22) 悴(17) 娘(13)
平四郎後家(54)30.133悴(22) 悴(14)
五兵衛(40)71.086女房(36) 悴(9) 娘(6) 兄(48) 父(71)
母(73)
清八(54)66.045女房(53) 悴(26) 娘(23) 娘(18) 娘(12)
七郎兵衛(31)41.005姉(34) 妹(25) 弟(14)
宗治郎(33)44.387女房(27) 弟(18) 祖父(75)
市五郎(49)30.131女房(58) 娘(13)
惣左衛門(34)40.384女房(24) 姉(27) 弟(21)
清兵衛(43)410.351女房(39) 悴(19) 悴(14)
礒八(36)31.632女房(34) 悴(8)

表12-② 東寺村の家族構成安政3年(1856)
戸主家族数持高家族構成(年齢)
清五郎(46)60.736女房(35) 悴(20) 悴(16) 娘(13) 娘(7)
仁左衛門娘くま(23)10.583
久八(24)53.516弟(19) 娘(11) 伯父(43) 母(51)
常左衛門(40)60.595女房(37) 娘(13) 姉(43) 妹(28) 母(70)
仁兵衛(35)62.478女房(33) 悴(9) 悴(7) 妹(22) 母(57)
又四郎(35)714.164女房(33) 娘(14) 悴(9) 悴(6) 娘(3)
父(68)
伊八(99)79.897女房(36) 悴(13) 娘(11) 妹(21) 父(64)
母(57)
喜右衛門(45)30.356妹(35) 弟(28)
助右衛門(50)47.770女房(46) 娘(17) 母(72)
定治郎(42)80.461女房(38)悴(18)嫁(24)孫(2)娘(14)
娘(11)悴(6)
勘左衛門(53)61.665女房(54)悴(35)女房(22)孫(4)母(74)
治右衛門(46)57.827女房(41)娘(9)伯父(49)母(76)
半左衛門(35)20.989女房(32)
仙治郎(32)60.777女房(26)悴(5)娘(2)父(55)母(65)
半治郎(32)20.131弟(29)
藤吉後家つま(41)34.566悴(18)娘(15)
彦右衛門(42)56.685娘(21)娘(12)悴(8)母(76)
作兵衛(45)43.935女房(40)悴(4)悴(2)
彦六(51)45.972悴(18)悴(16)悴(13)
源六(42)53.715女房(43)娘(14)悴(11)悴(8)
儀兵衛後家くう(31)52.743悴(4)伯父(46)父(56)母(56)
善吉(43)90.844女房(40)娘(16)悴(12)娘(14)
弥左衛門(48)97.147女房(39)悴(15)娘(13)娘(9)娘(5)
娘(2)父(78)母(78)
兵助(42)43.107女房(31)悴(9)父(66)
庄五郎㈲)69.951女房(51)悴(29)娘(21)悴(26)悴(15)
又治郎(36)54.291女房(40)悴(13)娘(3)妹(25)
庄左衛門(48)96.321女房(48)悴(18)弟(45)女房(32)悴(7)
弟(30)父(71)母(73)
浅右衛門(56)56.086女房(47)悴(19)娘(16)母(70)
平蔵(37)89.269女房(29)娘(13)娘(9)娘(6)悴(4)
妹(19)母(63)
又左衛門(46)83.9717女房(39)悴(22)娘(15)娘(12)悴(7)
妹(32)母(67)
五郎兵衛(73)446.332女房(70)孫(18)孫(16)
善兵衛(30)31.453女房(21)悴(3)
万治郎(51)76.708女房(41)娘(17)悴(13)悴(10)娘(8)
妹(46)
善七(38)51.453女房(32)娘(8)悴(5)悴(3)
長兵衛(38)64.113女房(28)悴(6)妹(23)父(57)母(63)
長治郎(47)50.901女房(46)悴(12)悴(10)母(80)
「宗門人別御改帳」『東寺地区共有文書』より作成

 図42は同じ「宗門人別御改帳」をもとに、東寺村の年齢別構成をみたものである。単年度ではあるが、当時東寺村の人々のおおよその年齢構成をうかがうことができる。

図42 東寺村の人口構造 安政3年(1856)「宗門人別御改帳」『東寺地区共有文書』より作成。