身持が悪く、田畑を耕さず度々家出をし、立ち帰っては家族のものに乱妨を働き、説得しても耳をかさないので親類、町役惣代から帳外(ちょうはずれ)にしてもらいたいとの願いが出されている記事が『膳所領郡方(ぜぜりょうこおりがた)日記』にみえる。このように身をもちくずしたものも厳しい処分を受けるが、身持の悪い者が反省した場合、どのような処置がなされるのか、その一例を示しておこう。
文久(ぶんきゅう)二年(一八六二)の「乍恐奉願上口上書」(『山本恭蔵家文書』)によると、身持が悪くて改心の見込みがないとして膳所表まで呼び出された者が改心して、次のような守るべき事柄を親類本家と連名で庄屋宛に差し出した。
一御法度の場席へ向後急度相たづさわり申すまじく候
一御年貢米御上納相済申さず候内、下作米勝手に売払申すまじく候
一御銘(名)目銀拝借仕まじく候、たとえ懇意借り定りとも親類へ相談の上ならねば一切借用仕まじく候
一御役場御用向の節は何時なりとも早々罷出申すべく候
一家為に相成り申さず候、あしき友と一切遊び申さず、たとえ近家までも無用の出寄行急度相慎み申すべく候
一家内睦まじく暮し、夜分は早々臥、早朝より起き、家業大切に相勤め、なるだけ親類中のしたしみ請候様仕るべく候
一貸付証文ならびに印形の義は身持とくと相決り候まで親類へ預け置申すべく候、改心見定の上、離し可被呉約定に御座候
年貢米の上納を軽んじ、家業のためにならぬ悪しき友とつき合うことは今後せず、御用向きのある時は必ず出向き、家内むつまじく、朝は早く起きて家業に精を出し、親類にも気に入られるように勉める、というもので、このような生活を営む者が領民としてあるいは村民、町民として適格者なのであった。さらにこのものは貴家や寺社およびそれらの名をつけた資金である名目銀の借用の場合は親類と相談し、また貸付証文、印形も親類に預け身持がよくなったと見極められるまで親類の監督下におかれて立直りの機会を与えられたのである。