相撲興行

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石部宿での相撲は河原や神社の境内で草相撲、花相撲が催された。元来芸人などに渡す祝儀のことを纒頭(はな)といい、いつしか花の字をあてるようになった。古くから辻相撲や野相撲が盛んで投げ銭も行われた。近世、勧進相撲の組織・制度が確立してくると木戸銭をとるようになったが、かつては投げ銭を行っていたことから花相撲といわれた。
 水口(みなくち)宿では文政~弘化(こうか)期(一八一八~一八四七)にしばしば江戸や畿内の力士を招いて社寺の境内で勧進興行を催している(水口町立歴史民俗資料館所蔵『山村日記』)。石部宿の相撲興行はこのような大がかりなものではなく、規模も小さく素人相撲あるいは素人も参加できるような花相撲ではなかったろうか。

写94 草角力(相撲)興行願 力士であった親の7回忌に東河原において相撲興行をしたいとの願書(『膳所領郡方日記』文化3年6月20日)。