こうした寺院の勧進興行では何らかの収益を見込んでのことと思われるが、いったいどのぐらいの収益をあげたのであろうか。
弘化三年(一八四六)、西福寺では表門修覆借財のためと称して三日間浄瑠璃興行を催した。「寄進集帳(きしんあつめちょう)」によると、東町・中清水町・西清水町・小池(おいけ)町・鵜ノ目(うのめ)町・大亀(おおかめ)町・登り町・出水(でみず)町・平野(ひらの)町・下横(しもよこ)町の人々の花代をはじめ、三日間の花代、木戸銭などの総収入は金二両、銭五一貫三一七文、これより太夫の出演料金四両、灯明料銭一貫文などを差し引いて銭六貫九百文の収益となった。「寄進集帳」では金一両につき銭六貫六百文替としているので収益金はわずかに金一両余にすぎない。
写95 浄瑠璃興行口上 浄現寺講中が世話方となって、浄現寺本堂において浄瑠璃を3日間催す旨の案内書である。竹本入太夫と称す太夫については不明であるが、石部宿のにぎわいが目に浮かぶようである(『浄現寺所蔵文書』)。
こうした芝居興行を催すにあたり番付を配布することがあった。文化(ぶんか)八年(一八一一)二月一日に蓮乗寺が子供狂言を催すに先だって西福寺に送った番付を示しておこう(『西福寺所蔵文書』)。
来る二月一日当寺において子共衆相頼み狂言稽古勧進のため興行仕候間、賑敷御来駕希入候、若雨天に候へは、翌日相勤申候、己上
小舞
大黒連歌 川嶋丈二郎 福渡 福嶋仲二郎
鴈礫 藤谷九兵衛 空腕 玉井庄二郎
仏師 福嶋金弥 千鳥 立入利三郎
蟹山伏 小島留八郎
休
伯母酒 上村冨蔵 舍弟 花井八九郎
附子 小嶋嘉吉郎 膏薬煉 大条勇二郎
宗論 遠藤幸助 首引 藤野多三郎
右始り 正七つ時
正月 願主 蓮乗寺
小前は扮装をしないで狂言の中で出てくる酒宴の場で演ずる短い舞である。演者は石部の子供達である。天保(てんぽう)六年(一八三五)、畑村(甲西町)の若者がひそかに舞子狂言をしていたことが発覚して取り締まりを受けた(『山村日記』)が、この蓮乗寺の子供狂言にみられるように石部でも素人芝居が行われていた。