鈴鹿山地の御在所岳に源を発する野洲川は、石部町の狭隘部を過ぎ、栗太郡との境界付近を扇頂部とし、それより下流は低平な扇状地を形成している。また、草津市付近から琵琶湖に至る最下流部には三角洲をもち、その堆積量の多さは目をみはるものがある。
これらの堆積物のほとんどは甲賀郡に分布し、古琵琶湖層や風化しやすい花崗岩であり侵食を受けやすい。
また野洲川の支流に、杣川(そまがわ)があるがその名が示すように、木材の産地であった。そのため、古代から石山寺・東大寺の造営を始めとする多くの用材を得るために濫伐を行い、森林が荒廃し禿山も多く、土砂が大量に流出し多くの河川は天井川を発達させることになった。
天井川は、平野との比高差が著しく、破堤による洪水は、しばしば大被害を生ずることになる。また、河水が地下に浸透するため、水無川とも呼ばれ、降雨時以外は水量がきわめて乏しい。さらに、野洲川流域の耕地の土壤は、砂質であり水が浸透しやすく、多量の用水を必要とする。このため、灌漑水利の絶対的不足をまねき、水利慣行をめぐり村落間にさまざまな問題を起こし、時として水論に発展することもあった。
このような自然条件の中で、数村の共同利用による水路が発達し、井組と呼ばれる村落を結ぶ水利組織が形成された。また、用水路の灌漑を補うため溜池も山間支谷に多く築造された。