街道通行の規定

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宿の負担として重要なものは、通行する人馬を円滑に次の宿まで継ぎ送りすることである。人馬は、幕府の公用を帯びたものと民間のものとは原則として問わない。とはいえ、御用通行といわれる公用の人馬が優先されたことは、街道整備の当初のねらいからして否めない。
 享保(きょうほう)八年(一七二三)の幕府の規定によれば、街道を通行する者は、幕政をすすめるに必要とする用務の軽重を考慮して五つに区分されている。
 (1) 将軍が発行する朱印状をもつもので、公家衆、門跡方、京都への上使、伊勢神宮への代参、大坂城代の交替の際の引き渡し、国々の城の引き渡し、幕府役人による巡見、諸国の川、そのほか普請の見分(けんぶん)など二三項目の用務を帯びた者
 (2) 老中・京都所司代・大坂城代・駿府城代・勘定奉行の発行する証文をもつもので、幕政を執行するための連絡に重要な意味をもつ御状箱、御用物など五〇項目に該当する通行者

  右の(1)、(2)については、一定限度内において宿常備の人馬を無賃で使用することが認められていた。
 (3)「御用ニ而賃伝馬之分」として、京都御名代(みょうだい)の大名・京都所司代・大坂城代・同城番・代官など一五項目に定められた御用通行のもので、その中には幕府御用の美濃紙・越前紙の運送も含まれていた。
 (4) 大名およびその家中の通行

  右の(3)、(4)は幕府の定めた賃銭(御定賃銭)を支払って宿の人馬を使用することを許されているものである。
 (5) (1)~(4)以外の一般の通行者
  右の(5)は(1)~(4)に許された賃銭の特権はなく、宿あるいは近在の駄賃稼ぎの人馬との相対(あいたい)賃銭(話し合いにより決めた賃銭)によるものとされた。
 無賃人馬は宿が負担し、助郷に転嫁することは原則として認められていないし、また御定賃銭は相対賃銭に比べてかなり低額に抑えられていたことから、(1)~(4)の通行の増加は宿の財政負担を大きくするものであった。