鉱生産量 | 粗銅生産量 | 販売数 | 売上高 | |
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慶応3年(1867) | 156,250斤 | 4,673斤余 | 4,673斤余 | 金934両2歩2朱 |
明治1年(1868) | 184,062斤余 | 8,143斤余 | 8,143斤余 | 1,628両3歩 |
明治2年(1869) | 170,187斤 | 7,600斤 | 7,600斤 | 1,520両 |
慶応三年(一八六七)の粗銅生産量は四、六七三斤余、その価格は金九三四両二歩二朱で薪炭、人夫五〇人の給料を差し引いた利益は金二一八両余となっている。二年目の粗銅生産量は一気に伸びて八、一四三斤余となったが、三年目の明治二年(一八六九)では七、六〇〇斤と減少し、以後鉱石の採掘量の目算がたちがたく休山となった。