生産量

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右に示した各時期の銅鉱の採掘量・粗銅の生産量などについては明らかではないが、表42からわずかに採掘の規模をうかがうことができる。
表42 製銅ならびに販売量
鉱生産量粗銅生産量販売数売上高
慶応3年(1867)156,250斤4,673斤余4,673斤余金934両2歩2朱
明治1年(1868)184,062斤余8,143斤余8,143斤余1,628両3歩
明治2年(1869)170,187斤7,600斤7,600斤1,520両
滋賀県立図書館所蔵『近江国六郡物産図説』より作成

 慶応三年(一八六七)の粗銅生産量は四、六七三斤余、その価格は金九三四両二歩二朱で薪炭、人夫五〇人の給料を差し引いた利益は金二一八両余となっている。二年目の粗銅生産量は一気に伸びて八、一四三斤余となったが、三年目の明治二年(一八六九)では七、六〇〇斤と減少し、以後鉱石の採掘量の目算がたちがたく休山となった。