明治六年十一月に内務省が設置されてからは、租税に関しては従来通り大蔵省が所管し、土地の所有権や処理に関しては内務省の管轄となった。そこで内務省は、全国の官民有地のすべてを把握するため、地籍編纂を企画し、同七年十二月二十八日、官員を派遣することを各府県に通知した。しかし、各府県が改租に追われていることを考慮してか、翌八年二月にその実施を延期することに決めた。その後、内務省は同九年五月二十三日に「地籍編製地方官心得書」を府県に通達しており、滋賀県においては同年六月二十日に「地籍編製区戸長心得書」を区戸長に布達した。この地籍編製は地租改正ともかかわっているので、ここに一項を設けておくことにする。
「地籍編製区戸長心得書」の前文には地籍編製の目的を、全国の土地寸土も漏らすことなく、書・図に明記し、外国に対しては国を守るために、国内的には施政百般の基本資料とするためであるとする。地租改正と地籍編製の違いは、前者が課税地を対象とするのに対し、後者は官民有地のすべてを対象とする点にある。しかし、経費の節約のため、耕宅地・山林・原野など、地租改正で段別調査したものはそれを登録し、河溝・道路・丘陵・山岳など、未調査のものを今般村方で調査することとした(第三条)。
地図(地籍編製地籍地図)に関しては、凡例において「一村全地ノ絵図ヲ製シ」とあるが、一方、「但、地図ハ今般必シモ製スルニ及ハス」とも述べている。地籍編製については明治十七年(一八八四)六月十日に「地籍編製土地調査手続」を頒布しているが、その前文に記すところによれば、同九年の地籍編製書式の布達に基づく調査の進達はあっても、地籍図の調整はなかったとある。同十七年の調査手続には、同年一月一日現在の地籍図を進達すべしとあるが、石部町にはそれに相当する地図は見当らない。
石部町の地籍編製にかかわる資料としては、同十年八月の「地籍編製道川反別総計簿」(『東寺地区共有文書』)、同十一年の「地籍簿」第一~五号(『石部町教育委員会所蔵文書』)などが現存している。地籍簿には一筆ごとの番号・地名(地目)・方積(面積)・等級・地価・事由・字名・地積(官民有の別)・所有者が表示されており、当時の土地利用、土地所有や土地生産力などを知ることができる。これに対応する地籍図があれば、より有効な郷土の歴史・地理の資料となるであろう。