そこで、各府県は、新たな財源を地方税の増徴に求めることになった。表52に同十三年度から十九年度までの滋賀県の地方税収入状況を示したが、同十四年以降の大幅な増税の様子がはっきりうかがえる。内容をみると、税率が地租五分の一以内から三分の一以内に引き上げられた地租割よりも、戸数割の増加が著しい。
総額 | 地租割 | 戸数割 | 営業税 | 雑種税 | |
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年度 | |||||
19 | 426,548 | 216,411 | 88,593 | 22,323 | 35,785 |
「松方デフレ」の進行にともなって、税金の滞納者が増加し、公売や身代限りの処分を受けて、土地を失う農民が続出するようになった。表53は、明治十五年から十九年までの、県内および甲賀郡における国税滞納者と金額、県会議員選挙権者・被選挙権者数を記したものである。明治十六・十七年の国税滞納者と金額の急激な増加には、水害や旱害の影響も考慮しなければならないが、「松方デフレ」の進行が最大の要因であったと考えられる。地租五円以上納入を資格とする県会議員選挙権者は連年減少しており、かつ同一〇円以上納入が必要な被選挙権者も漸減傾向にある。甲賀郡では、選挙権者の減少は県下全体とほぼ同様の傾向を示すが、被選挙権者の減少率は低い。このことは、甲賀郡においても「松方デフレ」の進行が、中下層農民に一層大きな打撃を与えたといえるであろう。史料の制約から石部地域における土地公売処分の実態を明らかにしえないが、『東寺地区共有文書』の中に、同十九年十一月「宅地租等未納」のために公売処分を受けた者の名前が記されている。
年度 | 国税滞納者 | 国税滞納金額 | 県議選選挙権者 | 県議選被選挙権者 | ||||
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19年 | (68) | (448) | (5,292) | (3,242) |
「松方デフレ」による生活の窮乏が進む中で、自衛手段を講ずる動きが現われてくるようになった。西寺村では同十八年から五年間の村民の生活倹約事項を定めている。主なものをみてみよう。「旧習ニ正月ハ内祝ヒ之事」、「出産祝ヒ相発(廃)シ候事」、「婚礼之節旧例ニ依リ嫁呼ビ若中ヘ直料ト唱ヘ差シ出スル事ヲ発(廃)」、「正月及盆礼ニ重通物廃」、「祭礼之節重通物廃」、「死亡埋葬之節僧侶、上等三人、中等二人、下等壱人、盛物壱対最(尤)モ生花ニ限ル、但シ其節ハ禁酒、就テハ逮夜供養無之事」、「年忌法会親戚壱人宛、尤モ供養一種壱菜之事」などである(「明治十八年一月ヨリ村会決定表」『西寺地区共有文書』)。