風俗取締盟約

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文明開化にともなう新しい文物・風俗・制度の流入は、村民の学習運動を興隆させるなど、一面において農村に活気を与えたといえる。だが、農村での開化現象はほとんどが豪農層止まりであり、他の多くの村民にとって、文明開化とは従来の生活様式や慣習を抑圧・破壊するものにほかならなかった。このため明治初期には「新政反対」などの要求を掲げた一揆が頻発するが、それが挫折したのちは、「勤勉」「倹約」を骨子とする通俗道徳イデオロギーの実践を通じて、村民の風俗を矯正し、村落の荒廃を防ごうとする動きが大きくなってくる。なお、通俗道徳イデオロギーとは、幕末期に二宮尊徳(にのみやそんとく)らの農民指導者が唱え実践したものであった。
 通俗道徳イデオロギーによる風俗矯正の動きの中で、特に大きな眼目となったのが賭博(とばく)の追放である。明治十年代の新聞には、農村における賭博の蔓延を指摘する記事が多い。たとえば、『京都滋賀新報』同十五年(一八八二)十一月二十二日号は、「甲賀郡にても賭博の流行甚しと見え、各村の戸長と警察官とが、去る十二日針村(甲西町)の西教寺へ集会して取締の条件を協議し、其筋へ上申の上速(すみやか)に実施することに決したりといふ」と記している。
 このような中で、石部村・東寺村・西寺村をはじめとする水口警察署石部分署管内一三ケ村の代表者が、同十五年十二月に「風俗取締盟約」を作成した。緒言で、「風俗ノ善ナル者ハ以テ敦厚勤倹ノ美習ヲナシ、不善ナル者ハ以テ浮薄怠惰ノ陋習ヲ長ス、而〆良習ニハ移リ難ク、悪習ニ染易キハ人間ノ通弊ナリ、勉メテ之レヲ善良ニ矯正セズンバアラス、然リ而〆其風俗ヲ傷リ悪習ノ誘発伝播スルモノ一ニシテ足ラズト雖モ、蓋シ賭博ノ所為其媒介ヲナス多キニアル者ノ如シ」と述べ、四節二四条よりなる具体的な規則を定めている(『東寺地区共有文書』)。
 第一節総則では、この盟約は本籍者・寄留者を問わず、家族全員が遵守すべきものと規定したうえ、違反者とは交際を拒絶し、違約金を徴収するとしている。ただ、交際を拒絶する対象は賭博に関係した者のみに限られ、家族や親族には及ばない。第二節違約例では、違反者の範囲を詳細に定めて、賭博の開帳者・参加者・会場提供者だけでなく、傍観者までも処罰の対象とし、違約金も一〇円以上三〇円以下と非常に高い。しかも、処罰の対象は刑事罰をまぬがれた者にも及んでおり、かつ年少者などの賭博類似行為を厳しく取り締まる条項もみられる。さらに、盟約の実を挙げるために取締専務員二人以上を置くこととし、専務長には一村の理事者=戸長をあてている。
 石部村など一三ケ村の「風俗取締盟約」の底流をなす通俗道徳イデオロギーは、これ以降も形を変えて、日本の農村社会に長く生き続けることになる。