なお、「十月一日、水口御立、石部御休、草津御泊、御宿大黒屋弥助、二日御逗留、三日昼後より御立、大津御泊」と「草津駅郵便諸事留帳」(『黒羽兵治郎氏所蔵文書』)にある山内駅逓大佑は隣駅草津駅の出身者で郵便創業時に前島密の片腕となって活躍し、同五年には駅逓権助に任ぜられている。
石部の場合、二度目の駅逓司官員による指導ならびに準備状況点検の巡回は、創業を一〇余日後にひかえた明治四年二月十九日に行われている。その二日前の二月十七日の昼ごろ、次のような通達が順達されてきた(「郵便運輸御発行一件録」『藪内吉彦氏所蔵文書』)。
今般 拙者共京坂江之御用相兼、不日発足駅〻巡回、別紙御布告ノ諸件、御談判ニ及ブベク候ニ付、手操ノタメ、書類御回シ申候間、御布告并時間表トモ一駅壱冊壱枚宛引去、郵便時間記ハ御一読の上、迅速御順達コレアリ度、此段申進候也
辛未正月廿九日 駅逓少令史 戒能好幸
駅逓少佑 真中忠直
東海道
品川より大津迄
伏見より守口迄
右駅〻出張
駅逓掛御中
この通達は、迅速でなく石部駅へは二〇日近くかかって到着している。文中に一枚ずつ引きとることを指示されているのは、一月二十四日公布の利用者への周知文である「書状ヲ出ス人ノ心得」と「各地時間賃銭表」であったと思われる。先触によって駅逓司の二人が十八日は水口駅に泊まり、十九日には石部駅へ巡回することは知らされていたので、石部駅からは十八日に小島雄作、青木左助の二人が水口駅まで出張している。駅逓司の二人が十九日、石部へ持参したものは次の金品であった(「郵便運輸御発行一件録」)。
一、布袋(郵便物を入れる行嚢(こうのう))四枚
一、飛行人足の三月分賃銭見込額
金二〇両三歩ト永一三文七分八厘
一、郵便切手 二〇シート 一、二〇〇枚
一、飛行人足の三月分賃銭見込額
金二〇両三歩ト永一三文七分八厘
一、郵便切手 二〇シート 一、二〇〇枚
写158 書状を出す人の心得 明治4年(1871)駅逓司郵便役所より公布されたもので、東京・大阪・京都のほか、東海道の駅々にも書状集メ箱を設置することなどが記されている。大阪より石部までの郵送に要する時間は5時8分(現在の11時間36分)、賃銭200文と定められていた(郵政研究所附属資料館所蔵)。
写159 郵便運輸御発行一件録 明治初年の郵便創業の記録で、地方における郵便制度近代化の動きを知る上で、大変重要な史料が石部には数多く残されている(『藪内吉彦氏所蔵文書』)。
写160 郵便脚夫と石部 ボタンのついた服装に郵袋を天秤棒につけて運送する郵便脚夫や、洋傘をさす人・人力車など、明治の文明開化のようすが描かれた石部宿の絵は珍しい(『東海名所改正道中記石部』 明治8年三代広重画郵政研究所附属資料館所蔵)。