ポスト・切手・局舎

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ポストと郵便切手は、いわば新式郵便の象徴である。ポストすなわち書状集メ箱に関して石部ではちょっとしたエピソードがある。
 明治三年十二月に駅逓司より書状集メ箱及び切手売捌所掲札は雛形の通り至急に各駅で製作しておくようにとの通達が膳所藩へ出された。ところがどういうわけか、膳所藩では、石部駅と草津駅への連絡を忘れていた。実は二月十七日に先述の駅逓司よりの通達に際し、おそらく小島雄作らが、急拠会合してまとめたと考えられる巡回駅逓司官員への一一項目の質問の中に「書状集メ箱、登リ方・下リ方と二箇仕立置ベシとの御達であるが、その大きさは何程であるか。且、その入用金は駅逓司より下されるのであるか、駅〻製作するのであるか」との一項がある。この質問書を持って水口駅へ出張した小島、青木の二人は、初めて、膳所藩よりの通達漏れを知り、雛形を写して石部駅へ知らせ、石部駅では十八日大工安治郎が徹夜で書状集メ箱を製作し、翌十九日の検査にかろうじて合格した。
 この時交付された郵便切手の内訳(「郵便運輸御発行一件録」)は、つぎの通りである。
 五百文切手五枚 銭一〇〇貫文
 弐百文切手一〇枚 銭八〇貫文
 百文切手一〇枚 銭四〇貫文
 四拾八文切手五枚 銭一〇貫文
 枚数はシート数であり、当時の一シートは切手四〇枚なので合計すれば一、二〇〇枚、銭二三〇貫文となる。なお、明治三年十二月十九日には、わが国最初の郵便印である「大型検査済印」と「賃銭切手済印」が西京駅逓司出張所より石部駅へ交付されている(「明治三年暦十一月ヨリ 駅逓御用都明記」)。創業当初の人々にとって、郵便物に切手を貼ってポストに投函すること、及び切手に再使用禁止のために消印を使用することは、従来の飛脚になかったことだけに戸惑ったと思われる。たとえば駅逓司への質問の一項には「各書状に添付の郵便切手は再使用防止のため検査済の印を押して毎月東京駅逓司へ返上いたすべきか。」(「郵便運輸御発行一件録」)というのがある。それに対する回答は「受取人が反古(ほご)に致すべし、差返しには及ばない事」とある。

写161 賃銭切手済印(左)と大型地名入検査済印(右)
(藪内吉彦氏写真提供)

 郵便御用の庁舎もその際「郵便会社 別段取設に及ばず、在来の伝馬所を仕切り、当分手初め申すべき様」と指示され、大工安治郎に伝馬所の東側部分を模様替させ使用している。この時の書状集メ箱などの製作、郵便所模様替の材料と手間賃、及び郵便差立請取印判代と朱肉代の合計は金三六両二分三朱と銭九貫五〇〇文である。なお二月一日付で草津駅及び水口駅までの村々の庄屋・年寄に対して、飛行人足が途中で発病または足痛を起こした場合は、代わりの人足を依頼している(「郵便運輸御発行一件録」)。
 このようにして石部駅では、郵便創業への準備を整えて三月一日を迎えることになる。