重立駅による取締

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明治五年一月の宿駅制度廃止により、東海道各駅に出張していた各府県の官員、すなわち各駅郵便取扱所の責任者が引き揚げた。これにより、官営事業が民営の陸運会社に委託されるという、ちぐはぐな状態が生じた。そこで駅逓寮が考えたのが、東海道各駅の中から一八局を重立(おもだち)駅として選び、そこへ従来出張していた府県官員に、駅逓寮一五等出仕心得、つまり駅逓寮の役人として、その駅及び付近数局の指導監督に当らせる方式であった。
 その重立駅の取締役が心得るべきこととして「東海道駅詰官員心得方」一七条が達せられたが、その第一条には「郵便諸規則を能(よ)く了解の上、関係駅々の取扱方の是非を検査し、誤解の廉等(かどなど)を見認候はば、懇切に相諭し申すべき事」とある。石部駅を監督指導する重立局は草津駅であり、草津駅の「郵便諸事留帳」によると、草津駅詰奥村孫十郎が、草津・石部・守山・武佐・愛知川・八幡町の各駅の郵便御用、ならびに陸運会社取締として滋賀県庁より任命されている。
この草津駅一五等出仕奥村孫十郎は元草津宿役人、当時の伝馬所元締役である。