節約の方法

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わが国の近代郵便の父といわれる前島密は郵便創業当初の苦心の一端を「郵便事業は全然余の立案に出づるものなれば、一点他の否議を受けずして敏速にこれを通過せしめんとするに際して、一時多額の起業費を要するが為に、他の反対を受けん事を恐れ、苦心惨憺を極めたり」(『自叙伝』)と述べている。また「政府に向って迚(とて)も多額の支出を望む事も出来ず、また民間に向っては収入の多い事も望めません。そこで収支対償の主義をとって、節約と権宜の方法とを以て、事業の拡張を計画しました」(『郵便創業談』)。
 そこで前島は、政府が定飛脚問屋に支払う月額一、五〇〇両、年額一万八、〇〇〇両を「暫時の郵便基金」とし、さらにそれから得る収入を「新線路拡張の基金」にあて、政府の通信費の支出をなくそうとするばかりか、郵便料金の国庫への収入を目論むという構想で取り組むことになる。国庫よりの支出を極力切り詰めたこと、つまり「節約の方法」は随所にあらわれる。たとえば、郵便取扱所への手当についてみると、郵便取扱所の責任者は、各府藩県の官吏なので駅逓司から月給は支給されていない。石部駅でもそれを疑問視したのか、先述の巡回駅逓司への質問の一項に「飛行会社の筆墨・蝋燭(ろうそく)などの事務用品費及び取扱人の月給、その他の諸入費は、すべて駅逓司より月々支給相成候哉」というのがあるが、それに対する回答は、「地方官員へ申付候事、月給は支給されず藩県にて取扱う事、但し諸入費は、三・四・五の三ケ月を経ざれば、東京郵便役所へ申出るべし、支給申すべく候」とある。
 実際各駅へ支給されたのは、わずか一銭から五銭で、苦労の多い夜の継ぎ立ても一夜一銭である(表57)。
表57 滋賀県下各駅の手当仕訳表(明治4年3月1日~12月4日)
駅名1日の定額支給額内訳
大津5銭14円90銭日数269日 夜継144度
草津3銭9円40銭  〃  夜継135度
石部2銭7円日数269日 夜継162度
水口3銭9円  〃  夜継99度
土山2銭6円10銭  〃  夜継76度
東海道郵便取扱人手当内訳表(『駅逓明鑑』)より作成。なお62ケ所の合計は372円50銭

 石部駅は一日の手当が二銭で、明治六年四月一日の料金均一制施行時の書状の郵便料金と同額である。しかし、この「節約の方法」をもってしても、初年度は収入一万七、九七六円に対し、支出が三万五、六二六円で不足額は一万七、六五〇円であった。なお同四年の滋賀県内各駅の収支状況をまとめたのが(表58)である。
表58 滋賀県下各駅の収支表(明治4年3月~12月)
駅名
切手売下代銭納高飛行脚夫賃銭其他並近傍配達賃・御手当・切手売下手数料②+③①-④差引
円 銭 毛円 銭 毛円 銭 毛円 鍵 毛円 銭 毛
大津264 64 65263 69 5526 88 60290 58 15- 25 93 50
草津54 77 93192 80 4422 29 94215 10 38- 160 32 45
石部27 36 53197 17 588 53 84205 71 42- 178 34 89
水口102 92 10158 28 7016 81 31175 10 01- 72 17 91
土山45 47 16170 19 1817 24 45187 43 63- 141 96 47
滋賀県合計495 18 37982 15 4591 78 141073 93 59- 578 75 22
明治4年各地郵便局仕上表(『駅逓明鑑』)より作成

 郵便事業が国庫に寄与するのは逓信省発足後の同十九年(一八八六)以降であり、その以前は、当初の前島の予想に反して、収入が支出を上廻るのは、明治十年度より十四年度のわずか五年間のみであった。