市制・町村制は公布後まもなく全国で施行されたが、郡制の方は容易に施行できない府県が多かった。それは、郡の分合や境界変更など解決を要する問題が山積していたためであった。滋賀県でも同様の問題の解決に手間取り、同三十一年(一八九八)四月になって、ようやく郡制が施行されている。
郡制では、府県知事任命の官吏である郡長が行政事務を執行し、議決機関として郡会および郡参事会が設けられた。郡会は当初、町村会で選ばれた議員と、郡内で町村税の賦課を受ける所有地の地価総額が一万円を超える大地主が互選する議員によって構成された。すなわち、郡会も町村会と同じく、地方名望家と呼ばれる資産家が議席を独占することになったのである。
郡会の開設にあたって、町村会選出議員の配当数が現住人口一、八五〇人以上七、五〇〇人以下に一人と決まり、明治三十一年当時人口が三、七二二人であった石部村からは一人選出できた(甲賀郡役所刊『郡制施行から廃止まで』)。最初の甲賀郡会議員は、町村会選出議員二〇人、大地主互選議員一人、合計二一人で、石部村からは井上敬之助と山本五郎助が選ばれている(表71)。井上は町村会選出議員であり、山本は郡内唯一の大地主互選議員であった。
選出時期 | 議員名 | 備考 |
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第7回(大正8.9.30) | 山本岩三郎 |
こうして郡は、行政区画にすぎなかった三新法体制期に比べて、地方公共団体としての性格を一応確立した。だが、郡には課税権がなく、財政収入は各町村分賦金や寄付金・郡債などに限られ、不安定な側面が多かった(表72)。しかも、地域住民の郡に対する自治意識も極めて希薄であったので、明治三十二年に郡制の大改革が行われた。郡会議員は、直接国税年額三円以上納入者を選挙権者、同五円以上納入者を被選挙権者とする直接選挙によって選ばれることになり、大地主互選議員は廃止された。この際甲賀郡会の定数は二六人に増えたが、人口五、〇〇〇人未満の町村は議員一人という規定により、石部村からの選出数は従来のままであり、表71に掲げた人々が議員となっている。
項目 | 金額 |
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前年度繰越金 | 260円326 |
合計 | 3,146円302 |
項目 | 金額 | 内容 |
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合計 | 3,146円302 |
項目 | 金額 | 内容 |
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合計 | 4,004円155 |
項目 | 金額 | 内容 |
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合計 | 4,004円155 |
しかし、その後も郡の地方公共団体としての発展には見るべきものがなかったため、大正十二年(一九二三)郡制は廃止された。さらに、同十五年には郡役所もなくなり、以後郡は単なる地理名称にすぎなくなった。