大正期の小学校

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同四十五年(一九一二)九月十三日、明治天皇大葬の際には校庭で石部町の遥拝式が挙行された。大正三年(一九一四)十一月一日、初の大運動会が開催された。
 同四年四月、服部友二郎より奨学金二五〇円が寄附された。同年十月二十九日、大正天皇の御真影が下賜されたので拝戴式、祝賀式を挙行し、校庭に樟を三本記念植樹した。また翌十一月十日、大正天皇御即位大礼につき校庭で祝賀会を挙行し、樟三本を記念植樹し、記念事業として学校基本財産造成の計画が立てられた。
 同七年五月十日、第四五回創立記念日にあたり全校遠足を実施、高等科一・二年は草津・瀬田を経て石山南郷へ、尋常科三年以上は阿星山登山をした。また同年七月一日、第一次大戦終結、平和克復につき午後八時から祝意を表して提灯行列をした。また同年十一月、流行性感冒に児童二〇〇人以上が罹患したため十一月十日から二週間臨時休校した。
 同十年三月二十三日、児童学芸練習会(発表会)を開催したが、これが当時練習会と呼ばれたものの始まりである。

写177 石部音楽隊 明治40年代に小学校校庭にて撮影されたもので、隊長(教員・関根良平)と7人の生徒で構成されており、写真の裏面に2人欠席と記されている。当時の小学校における情操教育の一端を示している。(山本重夫氏所蔵)。

 同十四年六月一日、平屋建一棟の増築校舎が完工、落成式をあげた。翌年四月、二宮金次郎の石像が神保りゑより寄贈された。
 同十五年十二月二十五日、大正天皇崩御、昭和と改元され、昭和二年(一九二七)二月二十五日、校庭で町の遙拝式が行われた。同三年十月、昭和天皇即位の大典を記念して下賜された御真影奉安庫が運動場南側の高地に建立された。武田憲治郎・三大寺壮之助・竹内栄蔵・服部友二郎・服部泰吉・竹内善之助・福島宗太郎・小島慰子ら篤志家の寄附金一、八八〇円があてられた。なお御真影と勅語謄本は学校教育の中核として国の諸儀式には必ず拝賀奉読することとされたが、同二十年十二月十七日に総司令部軍指令によって返還した。奉安庫は同二十一年八月二十五日主要部を除去し払下げられた。