農業の状況

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当時、農業はいうまでもなく、石部町の基幹産業であった。昭和元年には耕地面積が二七四町七反、農家戸数四〇二戸であった。農家戸数の内訳は図48のように、自作戸数が六九戸、自作兼小作戸数が一四二戸、小作戸数が一九一戸となっており、小作戸数が全体の五〇パーセント近くを占めている。また、耕作面積のうち、自作地は二〇~三〇パーセントで、小作地が七〇パーセント以上に達していた。

図48 石部の農家戸数(大正15年)
『石部町史』より作成

 さらに、経営規模別(所有・耕作別)農家戸数についてみると、図49のようになる。まず、所有面積では五反未満の農家が二七九戸と最も多く、全体の約七〇パーセントを占めている。一町未満の農家をみると、三四四戸となり、全体の八〇パーセントに及んでいることから、農家一戸あたりの所有面積が小さいことがわかる。他方、三町歩以上所有する農家は一九戸あり、一〇町歩以上の農家も四戸あった。次に、耕作面積をみると、五反以上一町未満の農家が二六一戸と最も多く、一町未満の零細経営農家は三九二戸で全体の九七・八パーセントと高くなっている。

図49 経営規模別(所有・耕作別)農家戸数(大正12年) 『石部町史』より作成

 所有面積と耕作面積を対比して、検討を加えよう。五反未満の農家戸数は所有面積別で二七九戸であるが、耕作面積別でみると一三一戸しかなく一四〇戸あまり少ない。他方、五反以上一町未満の農家戸数は所有面積別で六五戸であるが、耕作面積別では二六一戸となり、二〇〇戸ほど多い。このことから、所有面積五反未満の農家が約五反の地主所有地を小作しているとも想定できる。昭和十年当時の三町歩以上の在住耕地所有者を示したものが表76である。一一町歩あまりの耕地を所有していた服部泰吉をはじめ、一三人が、いわゆる在住大地主であった。また、不在地主と称される一町歩以上の不在耕地所有者は表77に示したように、一二人であり、そのうち、一〇町歩以上の耕地所有者は二人いた。耕作地の管理は当然、町民が行っていたが、三大寺作次が一八町歩、山本梅次郎が一〇町歩もの耕地を管理していた。不在地主は、遠くは東京にもおり、県外に居住する地主は八人に達したのである。
表76 3町歩以上の在住耕地所有者(昭和10年10月現在)
耕地在住所有者反別自作反別職業大字氏名
在住市町村内在住市町村外
30722329---811091石部小西治三郎
338-338------ 〃  〃 山本一三
982661,04845752--- 〃 服部友二郎
1,045911,136------ 〃  〃 服部泰吉
833198523153318---酒造業 〃 竹内善之助
4655470------学生 〃 内貴誠一
2512127237-379021111東寺北村鉄治郎
45472526---501060 〃  〃 北村清太郎
4675552256-56551570 〃  〃 山本治輔
27531306---581068米穀商石部小山新蔵
29328321---641579 〃 大島秀之
1614165228-228---精米商 〃 井上清治
36267429------教員西寺竹内岩吉
『石部町史』より作成

表77 1町歩以上の不在耕地所有者(昭和10年10月現在)
町内耕地所有者反別耕地管理者耕地所有者
(管理者住所氏名)職業住所氏名
1,050-1,050石部山本梅次郎京都山本友次郎
282-282 〃 岩村竹次郎医師大阪斎藤周吉
1,518571,575 〃 三大寺作次神崎猪田岩蔵
129-129 〃 服部寛五郎不詳滋賀旭半三郎
1625167 〃 伊藤清之助 〃 大阪日下サクエ
264-264 〃 山元文三郎滋賀青木五左衛門
231-231 〃 三大寺作次東京吉田洋次郎
537-537 〃 伊藤清之助不詳奈良大隅安三郎
182-182 〃  〃  〃  〃 大隅啓太郎
100-100-なし 〃 京都塚木棟三
218-218石部福島宗太郎滋賀小島とめ
4103413 〃 竹内八十八米穀商京都竹内栄一
『石部町史』より作成