当時、中国東北部にあたる満州は日本の権益が及ぶ地域であったが、中国やソ連が日本にとって大きな脅威となっていた。日本の関東軍は武力解決しようとして昭和六年(一九三一)九月十八日夜、奉天郊外の柳条溝(りゅうじょうこう)で南満州鉄道の線路を爆破した。関東軍はこれを中国側の敵対行為であると宣伝し、軍事行動を開始、半年の間に満州を占拠した。これが満州事変である。同二十年まで中国との間で十五年戦争と呼ばれる泥沼の戦争状態に突入した。さらに、同十二年七月、北京郊外の蘆溝橋(ろこうきょう)付近で日本軍と中国軍が衝突して、日中戦争が勃発した。両国は宣戦布告なしに中国の広範囲にわたって全面的な戦争に突入したわけである。