国内の政治と経済

647 ~ 648ページ
満州事変のころから、軍部の若手や右翼は軍事政権による国家改造を求めるファシズム運動を展開しはじめ、軍人と民間右翼が多くのクーデターを企てた。同七年海軍軍人らが五・一五事件を起こし、犬養毅(いぬかいつよし)首相を殺害した。それ以降、「憲政の常道」とされた政党の総裁が首相になる政党内閣の時代は終わり、軍部出身者が首相となった。同十一年には青年将校らが二・二六事件を起こし、高橋是清(これきよ)蔵相らを殺害した。以後の内閣組閣時には軍部が露骨な干渉を行ったのである。広田弘毅(こうき)内閣では現役の軍人を軍部大臣にすることを復活させるとともに、軍事費が一四億円に達する大型予算を計上し、大規模な軍備拡張計画を進めた。その後の内閣においても軍事費は膨張し続けた。こうして、国内の軍国主義化・ファシズム化は進展したわけである。
 日中戦争の拡大にしたがい、軍需品の生産が増大し、財閥が急成長した。鉄鋼などの重工業を中心にした軍需部門が最優先され、繊維などの民需部門は抑制され、輸出が不振となった。それに財政支出の増大により、インフレが進み、国民の生活は困窮に陥ったのである。同十三年には国家総動員法の成立により、国民生活へのしわよせは顕著なものになった。この法律は政府が軍需のために物資などを独占的・優先的に運用できるものであり、政府が軍需目的で物資をはじめ経済と国民生活を統制することが容易になった。

写185 挙国(町)一致講演会 昭和12年(1937)日中戦争に突入し、同年9月に挙国一致・尽忠報国・堅忍持久を3目標に国民精神総動員運動が各地でくり広げられた。写真は同年7月2日、石部尋常高等小学校講堂で開かれたものである(石部町教育委員会所蔵)。