ドイツは、ヨーロッパ大陸で併合・侵略を進め、同十四年九月、第二次世界大戦が勃発した。日本では同十五年九月、日独伊軍事同盟に調印し、国際的立場を確保し、アジアにおける指導的地位を得ようとした。日本軍は満州国との関係上、ソ連と国境付近で衝突したが、大敗した。また、米英ソの中国に対する援助により中国戦線は長期化し、日本の占領地は都市と鉄道に限られた。さらに石油や鉄鉱石などの重要資源を獲得するために、東南アジアや太平洋海域への進出を意図した南進論がしだいに高まり、やがて日本の戦略方針となった。同年九月に日本軍がインドシナに進駐したのに対して、アメリカは通商航海条約を破棄し、鉄・石油の対日輸出を完全に停止し、日本は経済封鎖をされたのである。
政府は日米交渉を継続していたが、軍部の画策により失敗した。同十六年十月、東条英機(とうじょうひでき)内閣が成立し、戦争遂行内閣とみなされ、日米関係は決定的な破局を迎え、ついに同年十二月八日、日本海軍がハワイ真珠湾を急襲し、また、日本陸軍はマレー半島に上陸した。この日、日本はアメリカ・イギリスの両国に対して宣戦布告し、太平洋戦争が始まった。