戦争の激化と敗戦

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日本軍は当初、シンガポール・ビルマ・インドネシア・フィリピンなどを占領し、進撃を続けたが、同十七年六月、ミッドウェー海域で日本海軍が敗退すると、アメリカ軍が戦争の主導権を握り、戦局は逆転した。アメリカ軍の総反攻が始まり、マリアナ諸島を手中にしたアメリカ軍は同十九年十一月からB―29爆撃機による日本本土の空襲を始めた。空襲は同二十年三月の東京大空襲をはじめ、地方都市にも及び、その被害は死者約二〇万人、負傷者二七万人、焼失家屋一四三万戸に達した。同年六月には沖縄を占領し、終戦工作を始め、七月にアメリカ・イギリス・中国の三国共同でポツダム宣言を発表した。日本政府は当初、黙殺していたが、八月六日と九日に広島・長崎に原子爆弾が投下され、さらにソ連が対日宣戦を布告したため、八月十四日、宣言を受諾した。そして、八月十五日正午、天皇のラジオ放送により終戦の宣言があり、太平洋戦争は国民と戦略地域の住民に多大な犠牲を強いて終わったのである。