水田 | 畑地 | |||||
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面積 | 買収金額 | 面積 | 買収金額 | |||
3月31日 | 86.015 | 72,776.80 | 1.812 | 764.16 | ||
7月2日 | 12.317 | 9,943.60 | 0.027 | 43.00 | ||
10月2日 | 338.124 | 296,252.80 | 20.401 | 9,821.62 | ||
12月2日 | 131.8245 | 103,076.80 | 36.9035 | 15,951.60 | ||
2月2日 | 59.803 | 53,684.40 | 1.116 | 431.52 | ||
3月2日 | 77.710 | 71,026.00 | 2.325 | 890.96 | ||
7月2日 | 282.414 | 240,736.39 | 12.328 | 5,540.68 | ||
10月2日 | 44.614 | 19,431.04 | 1.214 | 498.14 | ||
12月2日 | 32.105 | 24,857.60 | 1.100 | 555.04 | ||
12月31日 | 6.114 | 3,849.60 | - | - | ||
3月2日 | 5.503 | 3,936.40 | 0.401 | 115.20 | ||
7月2日 | 25.702 | 18,967.70 | 3.018 | 1,067.60 | ||
10月2日 | 7.301 | 6,555.80 | - | - | ||
10月2日 | 7.907 | 6,824.80 | 1.212 | 472.32 | ||
12月2日 | - | - | - | - | ||
7月2日 | 0.823 | 757.44 | - | - | ||
合計 | 1118.2765 | 932,677.17 | 81.8575 | 36,151.84 |
買収金額をみると、水田の合計金額は九三万円あまりとなり、畑地の合計金額は三万円であった。これを一反(約九・九アール)あたりの買収金額で換算すると、水田が約八三四円、畑地で約四四六円、採草地約四八〇円、溜池約四三八円となる。同二十二年の内地米地方食糧営団の一石あたりの販売価格は五四六円であった。当時の食料事情を考慮する必要があるものの、水田一反は白米約一・五石、畑地一反の場合は白米約〇・八石と、かなり安価で買収されたことになる。
この農地改革により、石部町の農業経営は大きく変化したのである。図55は昭和十六年(一九四一)~三十年における形態別農家数の推移をみたものである。同十六年には自作農家が五一戸であったが、農地改革の推進期であった同二十二年に四〇戸増加して、九一戸となった。そして、農地改革の完遂期であった同二十五年には、自作農家は二一六戸となり、農家戸数全体(三七八戸)の約六〇パーセントに及んだ。自小作農家を含めると三三七戸となり、全体の九〇パーセント近くになったのである。これに対して、小作農家は同二十五年に八戸と激減し、農地改革の主旨である自作農の創設が強力に推進されたことがうかがえる。
図55 形態別農家数の推移 「農地等解放実績調査」(石部町役場所蔵)により作成
次に、規模別農家数を示したのが図56である。昭和十六年から同三十年までの五反単位でみた農家数の推移をみると、一町歩以上の農家は戦前から一貫して減少し続け、一町五反以上の農家は同三十年にはなくなった。その分、同二十二年には、五反未満の農家が増加し、五反~一町歩の農家も、同二十二年以降に増加したのである。戦後、五反~一町歩の農家が全体の約半数を占め、戦前に比べて小規模な経営となった。石部町では農地改革により、戦前にみられた地主層はなくなり、一町歩未満の自作農家が増加したのである。
図56 規模別農家数の推移 「農地等解放実績調査」(石部町役場所蔵)により作成