石部における農地改革

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石部町では、同二十一年に石部町農地委員会が設立され、農地改革を推進した。石部町の土地買収は表78のように、一六回にわたって行われた。第一回は同二十二年三月に開始され、最終の第一六回は同二十五年七月であった。買収の対象地目は、水田に限らず、畑地や採草地・溜池、さらに、宅地にも及んだ。水田の買収面積は全体で約一一一町八反(約一〇八・六ヘクタール)であった。このうち、同二十二年十月の第三回買収が三三町八反と最も大規模であり、また、同二十三年七月の第七回買収では二八町二反、同二十二年十二月の第四回買収では一三町一反と大規模な買収が行われた。畑地の場合も、第三回・第四回・第七回の買収が大きな面積になっており、畑地の総面積は約八町一反(約六・五ヘクタール)であった。表78には記載していないが水田や畑地以外にも、採草地が約三畝、溜池が約一反二畝、宅地が第一二回と第一三回に、それぞれ八畝四歩(二四四坪)、四畝一五歩(一三五坪)買収された。
表78 土地買収の推移
水田畑地
面積買収金額面積買収金額
第1回昭和22年3月31日86.015 72,776.801.812 764.16
第2回7月2日12.317 9,943.600.027 43.00
第3回10月2日338.124 296,252.8020.401 9,821.62
第4回12月2日131.8245103,076.8036.903515,951.60
第5回  23年2月2日59.803 53,684.401.116 431.52
第6回3月2日77.710 71,026.002.325 890.96
第7回7月2日282.414 240,736.3912.328 5,540.68
第8回10月2日44.614 19,431.041.214 498.14
第9回12月2日32.105 24,857.601.100 555.04
第10回12月31日6.114 3,849.60-
第11回  24年3月2日5.503 3,936.400.401 115.20
第12回7月2日25.702 18,967.703.018 1,067.60
第13回10月2日7.301 6,555.80-
第14回10月2日7.907 6,824.801.212 472.32
第15回12月2日--
第16回  25年7月2日0.823 757.44-
合計1118.2765932,677.1781.857536,151.84
「農地等解放実績調査」(石部町役場所蔵)により作成

 買収金額をみると、水田の合計金額は九三万円あまりとなり、畑地の合計金額は三万円であった。これを一反(約九・九アール)あたりの買収金額で換算すると、水田が約八三四円、畑地で約四四六円、採草地約四八〇円、溜池約四三八円となる。同二十二年の内地米地方食糧営団の一石あたりの販売価格は五四六円であった。当時の食料事情を考慮する必要があるものの、水田一反は白米約一・五石、畑地一反の場合は白米約〇・八石と、かなり安価で買収されたことになる。
 この農地改革により、石部町の農業経営は大きく変化したのである。図55は昭和十六年(一九四一)~三十年における形態別農家数の推移をみたものである。同十六年には自作農家が五一戸であったが、農地改革の推進期であった同二十二年に四〇戸増加して、九一戸となった。そして、農地改革の完遂期であった同二十五年には、自作農家は二一六戸となり、農家戸数全体(三七八戸)の約六〇パーセントに及んだ。自小作農家を含めると三三七戸となり、全体の九〇パーセント近くになったのである。これに対して、小作農家は同二十五年に八戸と激減し、農地改革の主旨である自作農の創設が強力に推進されたことがうかがえる。

図55 形態別農家数の推移 「農地等解放実績調査」(石部町役場所蔵)により作成

 次に、規模別農家数を示したのが図56である。昭和十六年から同三十年までの五反単位でみた農家数の推移をみると、一町歩以上の農家は戦前から一貫して減少し続け、一町五反以上の農家は同三十年にはなくなった。その分、同二十二年には、五反未満の農家が増加し、五反~一町歩の農家も、同二十二年以降に増加したのである。戦後、五反~一町歩の農家が全体の約半数を占め、戦前に比べて小規模な経営となった。石部町では農地改革により、戦前にみられた地主層はなくなり、一町歩未満の自作農家が増加したのである。

図56 規模別農家数の推移 「農地等解放実績調査」(石部町役場所蔵)により作成