合併の気運

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石部町は、明治三十六年(一九〇三)六月に町制が施行されて以来、現在まで一貫して当時の町域を維持している。この間、隣接の町村との合併問題が生起したが、その大きな気運は過去二回あった。第一の気運は昭和十六年にあった。滋賀県は戦争遂行を目的とした戦時合策として、強力で健全な自治体の育成をめざしたのである。近隣の野洲町や守山町・水口町などの大規模な合併が進められた中で、石部町では現在の甲西(こうせい)町内の柑子袋(こうじぶくろ)・平松・針・菩提寺・正福寺の五字(あざ)との合併が検討されたが、実現されなかった。
 第二の気運は戦後に起こった。昭和二十八年に公布・施行された町村合併促進法は明治以来の旧態的な行政村を近代的で合理的な財政運営のできる町村に再編成しようとするものであった。この施策にしたがい、県は甲賀郡西部の石部町をはじめとする、下田(しもだ)村・三雲(みくも)村・岩根(いわね)村の四町村が合併して新町を建設するという計画を提示したのである。これに対して、石部町議会において町村合併特別委員会が設置され、同二十九年二月二十七日に、初会合がもたれた。そこで合併促進協議会の設立に向けての検討がなされ、協議会委員とその役員の選出方法などが議題となった。