国内の余剰米が増加する中で、米の生産調整は当初在庫事情と自給バランスを検討して行われ、地域事情を考慮した短期的な自給調整策として始まった。石部町においても昭和四十六年度から米の生産調整・稲作転換対策事業が実施され、政府米生産調整奨励補助金交付要綱にしたがって進められた。農家がそれまで耕作していた水田を休耕(転作)した場合、農家に奨励金・補助金が交付されることになった。これ以後も生産調整は同様に行われ、同五十一年度には水田総合利用対策事業となった。
さらに同五十三年度より長期的な政策となり、本格的な水田の転作が展開された。転作の目標面積を達成するための取り組みとして、部落座談会や栽培講習会、各種の研究会が開催された。水田利用再編対策事業として、第一期(昭和五十三年~五十五年度)、第二期(同五十六年~五十八年度)、第三期(同五十九年~六十一年度)と計九年間にわたって水田の転作が行われた。さらに、同六十二年度より水田農業確立対策事業として進められている。
過去一〇年間の転作実施状況をみると転作の目標面積は年毎に変動したが、中でも第二期には二三~二五ヘクタールと年間目標面積の規模が大きかったことが注目されるが、水田農業確立対策の初年度である同六十二年度が二六ヘクタールと過去最高の目標額となった。これに対して、転作実施の総面積は過去一〇年間で二一七・五四ヘクタールに及んだ。二〇ヘクタール以上の転作を実施した年は一〇年間のうち半数に達し、特に五十七年度には三二・九ヘクタールと最大になった。転作率(達成率)も毎年一〇〇パーセント以上になっている。転作の内容をみると、過去一〇年間における転作作物の中心は麦(二六・二ヘクタール)、大豆(三六・二ヘクタール)、野菜(五〇・三ヘクタール)である。転作開始当初より野菜と大豆の比重が高かったが、第三期以降は野菜が主たる転作作物になっている。なお、同五十八年度から水田預託が始まり、他用途利用米も同五十九年度から栽培することができるようになった。