形態別・規模別農家数から農業経営の側面についてみていこう。図59は経営形態別農家数の推移である。専業農家が明治四十一年(一九〇八)には三一二戸、大正十五年(一九二六)に二八六戸と七〇パーセント以上を占めており、戦前において農業が石部町の主たる生業であったことを示している。戦前に比べると、戦後は専業としての農業の色彩は薄れていく。昭和二十五年には、専業農家一四三戸、第一種兼業農家八一戸、第二種兼業農家一五四戸となっており、専業農家と第二種兼業農家がそれぞれ約四〇パーセントずつになった。その後、専業農家は急激に減少し、同三十五年に八八戸となり、さらに同四十五年には皆無となった。一方、第二種兼業農家は同三十五年に六〇戸、同四十五年に一〇五戸、それぞれ増加した。同五十五年にいたっては、全農家数の九八・八パーセントが第二種兼業農家となり、農業の兼業化がピークに達した時期にあたる。こうしてみると、同三十五年から四十五年にかけて、徹底した兼業化が進んだことがわかる。ただ、近年において同四十五年に皆無であった専業農家が同五十五年一戸、同六十年四戸と、わずかながら増えていることも見逃せないところである。
図59 経営形態別農家数の推移 農業センサスより作成
戦後、町内への工場進出と交通体系の整備によって他業種への就業機会が増加したために、農業は兼業化が著しく進行した。それとともに、農地以外の土地利用がはかられて、経営面積が小規模化したのである。こうして、石部町の農業はサラリーマンによる日曜農業としての傾向が強くなってきている。ただ、こうした趨勢の中で、同五十五年以降に専業農家が再生され、同三十五年より一・五ヘクタール以上の経営面積をもつ農家が維持されているのは注目すべきところである。これらの農家は水稲栽培をはじめ多角的な営農を行っているものと思われるが、兼業化・小規模化された地域農業の再編成が叫ばれている中で、新たな可能性を求めて展開している農家の存在がみられるのである。