高速道路の建設が決定されると、石部町は精力的に工場誘致したため、まず同三十四年十一月に西日本精工株式会社(現日本精工株式会社)石部工場が竣工した。工場自体は同年十一月に研磨工場が、同三十五年三月に旋盤工場が完成して、量産体制に入った。設立以来、ローラーベアリング(軸受)の生産が行われている。これは家庭電化製品、自動車、鉄道車両のほか産業機械の回転部分に使用される部品である。同三十五年九月当時、従業員は職員一〇人、工員二二二人(男一四二人、女八〇人)と町内最大規模であった。現在では、従業員は七〇〇人以上に達し、隣接町村からの勤務者も数多い。
写196 名神高速道路栗東インターチェンジ(左)と、国道1号線沿いの工場(右)
国道1号線の開通にともない企業誘致がはかられた。さらに昭和38年(1963)名神高速道路の一部開通によって、工場進出がいっそうさかんになった。
続いて、同三十五年十二月に湖南工業株式会社が誘致された。同三十七年八月に操業を開始し、従業員六〇人で合繊加工(タイヤコード)製品を生産している。また、シーアイ化成株式会社が同三十八年十月から従業員二六〇人をもって合成樹脂製品の製造に乗り出した。
一方、国道一号線沿いに、金属製品やプラスチック製品の工場が同四十五年ごろまでに多く設立された。同四十一年二月に日光化成株式会社が従業員一四〇人でプラスチック積層品の生産を開始した。そして、同四十二年四月、日本アーム株式会社が進出して従業員一四〇人で架線金属品や鋼管柱などを生産している。さらに、河野プラスチック株式会社が同四十五年六月に操業を始め、従業員二三〇人によりプラスチック製品の製造・出荷を行っている。