民間企業の宅地開発

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公営住宅に加えて、民間企業による宅地開発も積極的に行われた。当初、地元企業をはじめ数多くの企業が開発を進めてきたが、これらは比較的小規模なものであった。本格的な大規模開発は昭和四十年代になってからであった。大阪に本社をもつ東宝(とうほう)ランド株式会社および大倉開発株式会社が町内の丘陵地域の三ケ所で宅地造成を開始した。地元企業も含めて、この二つの企業を中心に用地買収が行われ、宮の森ニュータウン(宮の森町)と宝来坂ニュータウン(宝来坂(ほうらいざか)町)が同四十五年ごろに、岡出ニュータウン(岡出町)が同五十年ごろにそれぞれ造成を完了した。
 宮の森ニュータウンでは、東宝ランド株式会社が約七万平方メートルを、宝来坂ニュータウンは東宝ランド株式会社と大倉開発株式会社を中心に地元企業も含めて約九万八、〇〇〇平方メートルを、さらに、岡出ニュータウンにおいては東宝ランドと地元企業が約一二万三、〇〇〇平方メートルをそれぞれ買収し、合計二九万二、〇〇〇平方メートルに及ぶ大規模なものとなった。開発地域は丘陵地のため、各ニュータウンともに元来、山林であったところが大半である。特に、宮の森ニュータウンと宝来坂ニュータウンでは登記上の地目はほとんど山林であった。当時、町内には多くのダンプカーが行き交い、造成地ではブルドーザーの音が鳴り響いた。
 造成後に公園や道路が設けられ、それらは企業から町に寄付され、町公園・町道となった。そして、水道給配水や側溝が施工され、家屋が建築されたのである。同四十五年より宝来坂ニュータウンで、同四十六年より宮の森ニュータウンで、同五十年より岡出ニュータウンで、それぞれ入居が始まった。宮の森ニュータウンでは同五十二年から五十三年に入居のピークがあり、同六十三年末現在二四八戸である。宝来坂ニュータウンにおいては宮の森ニュータウンとほぼ同時期に多くの入居があって現在は二九一戸に及んでいる。岡出ニュータウンの場合も、同五十三年の入居者数が最高になっており、それ以外の年も一定の入居がみられ、現在では一七〇戸である。同六十三年十二月現在、これら三つのニュータウンへの入居戸数は七〇九戸にのぼり、町内の全戸数の約二〇パーセントにあたっている。これら以外にも一戸建住宅は町内の企業はもとより、近隣市町や京都、大阪などの住宅会社によって活発に造成され、供給されてきた。同六十年代に入ると、県道バイパス沿線を中心に四階建アパート・マンションなど、多様な住宅が建設されている。
表83 ニュータウンの入居状況
宮の森宝来坂岡出小計
昭和45年-7-7
  46年61-7
  47年111-12
  48年54-9
  49年104-14
  50年73515
  51年12131742
  52年20221860
  53年26232170
  54年17261255
  55年17131141
  56年12121034
  57年17221251
  58年211628
  59年1128746
  60年15211349
  61年11191040
  62年15221754
  63年15491175
総計248291170709
石部町役場資料より作成


 


写198 岡出ニュータウンの造成と町の変化
旧役場の背後に岡出ニュータウンの造成が始められていることがわかる(上)。ニュータウンの家並が整う一方で、旧役場は取り壊され現在の役場(写真では自転車置場のみ)が完成している(下)。