交通・通信の整備

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鉄道体系では、戦後も国鉄草津線による鉄道輸送が中心となった。当時は蒸気機関車が運転されていたが、同三十二年十月にディーゼル車が導入されはじめ、同四十七年十月には蒸気機関車が草津線から姿を消した。他方、同四十一年以来複線電化の要望が続けられた結果、電化は同五十五年三月に完成し、駅には上下線のホームをつなぐ跨(こ)線橋が作られた。国鉄の民営化後は京都直通電車の増便、貴生川止まり電車の新設による増便、大阪柘植間直通電車が新設され、JR草津線の利便性はますます高まっている。また、駅周辺の整備については、まず同二十七年十二月に石部駅舎が改築され、さらに、町総合発展計画にしたがって石部駅前の本格的な整備が同六十一年六月より始められ、町道が二車線と歩道(三メートル)に拡幅され、広場には和風庭園と送迎用の一時駐車場が設けられた。

写203 JR石部駅前 昭和61年、年々乗降客の増える石部駅の駅前の整備に着手、中央部にマツなどを植えた庭園、周囲の車道を拡幅し、一方通行のロータリー方式とし、一時駐車場を設けるなど、町民の便をはかった。

 道路整備については、国道一号線の建設は既述したが、この国道に同三十二年四月、国鉄急行バスが運行を開始し、石部口は石部町の道路上の玄関口であった。石部口の交通事故と渋滞を解消するために、建設省による交差点改良工事とバス停留所工事が同四十七年二月に行われ、さらに、同六十三年三月に立体歩道橋が設けられた。県道や町道も交通量の増大にともない次第に整備された。県道では旧東海道の交通緩和対策として、県道石部停車場線(通称県道バイパス)の建設がある。この道路の新設により、それまで旧道を運行していた国鉄バスはこの県道バイパスを通行するようになった。県道バイパスは町内の大動脈となっている。また、阿星林道(道幅四メートル)が阿星山系の森林資源の活用を目的として造られ、昭和五十八年三月に完成した。
 通信においては、防災行政無線が同五十七年一月開局した。放送局は役場庁舎三階にあり、各戸に家庭用受信機(同六十年現在一、二一三台)を設置し、屋外では屋外受信局(三ケ所)や移動受信機によって受信している。非常災害やその他緊急時の通報伝達、気象情報を連絡するほか、町の公示や広報といった公共情報を朝夕二回放送している。