あとがき

 私たちが石部町より、町史編さんにつき依頼をうけたのは、昭和五十九年の春のことであった。すでに故高橋良暢氏の執筆・編集になる『石部町史』が昭和三十四年九月に出されていたが、石部町のその後の発展がめざましく、市町村史の編さんについても学問的成果を反映したものが陸続と刊行されている趨勢に鑑み、新らたな町史の編さんが町当局によって企画されたのであった。
 おりしも石部町では、石部・東寺・西寺三ケ村合併百年と石部町制八十五周年を昭和六十三年に迎えるというので、この機会に町民の郷土に対する理解を深め、将来の石部町の発展と、町民文化の向上促進を図るには、町史編さんはまことに意義ぶかいことと思われた。
 そこで私たちは、史料の蒐集をはじめるとともに、町史全体の構想をたて、本文通史篇一冊、別編史料篇一冊、あわせて二冊とし、全体の頁数を一千頁とする方針を立てた。また編さん・刊行に当って、町当局、教育委員会、議会筋などの代表者からなる石部町史編さん委員会を結成してもらった。
 かくして町史の編さん事業は始められ、六十一年度までは史・資料の蒐集に力を注ぎ、六十二年度に別記のような陣容で執筆を進め、六十三年度において原稿の調整、挿入写真、図版の作成などの編集に当り、書名も『新修石部町史』とすることにした。編集関係者一同、全力を傾注して事業にあたり、幸いここに、『通史篇』の完成までこぎつけることができたのである。
 いま、本書を通観すると、近世・近現代にあっては残存する史料が尨大な量にのぼり、その執筆に当っても紙数の関係でそれらを十分に利用した記述になりえなかった面のあったこと、また町域全体について網羅的にすべてにわたった記述をなしえなかったことなど、気がかりな点もある。これらはすべて編集者の責任に帰せられるべきであって、読者に諒恕を乞いたい。
 おわりに、私たちに最後まで協力を惜しまれず、辛抱づよく上梓をまたれた町当局、また事業推進に御協力賜わった教育長以下教育委員会事務局の各位、さらにさまざまな立場でご声援を賜わった町民の皆さんに対し、深甚の謝意を捧げたい。また印刷を担当して頂いた日本写真印刷株式会社に対しても御礼を申し上げ、結びのことばとしたい。
  平成元年三月
                                       伊藤唯真
                                       竹下喜久男