常楽寺
阿星山の麓に、石部町屈指の古刹、常楽寺と長寿寺とがある。ともに阿星山(あせいざん)と号し、中古より天台宗に属している。
常楽寺は元明(げんめい)天皇の和銅(わどう)年間(708~715)に金粛(こんしゅく)(金蕭とも)菩薩が創めた阿星寺の後身と伝え、長寿寺は聖武(しょうむ)天皇の天平(てんぴょう)年間(729~749)に良弁が開いたという。(『新修石部町史 通史篇』より)
・本堂(国宝)
屋根の美しさに定評があり、のびやかで豪快な趣きの感じられる建築である。桁行七間、梁間六間の奥行きの深い構造が天台伽藍の一特徴である。屋根は一重、入母屋造、檜皮葺とし、三間の向拝をつける。廻廊は四面をめぐらずに側面の前より二間分で終わっており、近江の天台伽藍の特色のひとつとされている。柱は丸柱で長押をうつ。正面では中央五間を格子造りの蔀戸、左右両端だけ連子窓とし、側面にまわると前二間分を桟唐戸とする。内部に入ると、前二間通りが外陣、中二間通りが内陣と脇陣となり、後ろ二間通りは後陣である。内陣と外陣は菱格子の欄間と吹寄の格子戸によって厳重に区切られ、天台伽藍の特徴をみせている。外陣天井は現在は全面組入天井だが、当初は中央だけ天井を張って三方化粧屋根裏であったとみられている。勧進状によれば、本堂は延文5年(1360年)3月26日に焼失したが、すぐさま僧観慶の手で再建のための勧進が開始されており、まもなく完成したものが現存する本堂にあたると考えられている。
(一棟・付厨子、明治31年12月28日、昭和28年3月31日国宝指定)
・三重塔(国宝)
常楽寺本堂の向かって左奥の高台に建つ三重塔は、その建造年代の判明する貴重な作例である。勧進状のうち応永5年(1398年)の年記をもつ一巻が本塔の再建の勧進を内容としており、およそこのころに建てられたことがわかる。塔の焼失は前述の本堂と同時であったが、再建はまず本堂、そののちに三重塔という順で進められたわけである。
各層三間、初重は中央を板戸として左右に連子窓を配する。本瓦葺とし、内部の須弥壇を除いて純和様の建築である。本尊は釈迦如来、四方壁には真言八祖像十王図、地獄図など、四天柱には仏菩薩を描き、来迎壁は釈迦説法図らしい。天台寺院でありながら真言八祖像を描いているが、このころの常楽寺は天台・真言両宗兼修であったのではないかと考えられる節がある。
総高は22.8メートルで、ちょうど3分の1を相輪がしめる。そのほか、総高が初層柱間の5倍であること、塔身高は3.3倍であることなど、典型的な数値を示しており、そのために非常に安定した感じのする建築となっている。
(一基・附丸瓦平瓦各一箇、明治34年3月27日、昭和28年3月31日国宝指定)
・石燈篭(重要文化財)
常楽寺の本堂の正面には、総高270.0センチメートルの堂々とした一基の石燈籠が立つ。現在では石燈籠といえば、神社の参道の両側などにも並んでいる光景を目にすることができるが、これは近世以降の風潮であり、本来は本堂の前に一基のみ置いて、堂内の本尊に献灯するための仏具である。したがって常楽寺では、まだ古式の配置法が守られているわけである。
花崗岩製で六角形・円筒竿の石燈籠である。基礎は各面に格狭間を刻み、ふくらみの強い胡桃形の反花の上に、上中下三節に分節して中節に連珠文をめぐらす竿をおく。中台は下端に請花を表し、側面は各面を二区に分けて羽目とする。火袋は正・背二面を火口とし、他四面には丸窓をうがつ。笠は降棟をつくり、その先端を蕨手としている。宝珠と請花は別石製である。全体に比して竿は短めだが、他の各部が縦長なためか、のびやかな感覚がある。竿の部分に銘が刻まれ、応永13年(1406年)の制作とわかる。慶禅らによる三重塔再建などの復興期にほぼ一致し、本燈籠も一連の復興事業のなかで造立されたものと考えてよかろう。

