- [口絵]
- 序
- 改訂に当たって
- 目次
- 原始
- 古代
- 6 古墳時代のはじまり
- 7 中期の阿武隈川流域
- 8 後期そして終末の古墳
- 9 奈良・平安時代の遺跡と郷
- 10 清水台遺跡発掘調査の成果と課題
- 11 安積郡の成立
- 12 安積郡の古代豪族
- 13 安積山と田村麻呂
- 14 仏と神
- 中世
- 15 郡山の中世遺跡
- 16 安積郡地頭伊東氏と田村荘司(たむらのしょうじ)田村氏
- 17 佐々河落城と伊東氏の動向
- 18 宇津峯合戦
- 19 篠川御所足利満直
- 20 安積氏の退転
- 21 安積氏名代の片平居止
- 22 御代田合戦
- 23 大内定綱と片平親綱
- 24 郡山合戦
- 25 高玉城撫で切り
- 26 安積・田村の仕置
- 近世
- 27 会津領時代の郡山地方
- 28 二本松藩と会津藩の成立
- 29 三春藩・守山藩・幕府領等の成立
- 30 安積三組の代官所と郷村支配
- 31 守山藩と守山陣屋支配
- 32 入会秣場(いりあいまぐさば)と争論
- 33 年貢の徴収と農民の負担
- 34 奥州街道の建設と安積七宿
- 35 湖南地方の街道と宿駅
- 36 自然災害と飢饉
- 37 寛延(かんえん)一揆と浅川(あさかわ)騒動
- 38 村々の耕地と用水
- 39 郡山地方の産業
- 40 郡山宿の繁栄と町への昇格
- 41 年貢米の江戸廻米と地払い
- 42 阿武隈川の洪水と石渕金(いしぶちきん)
- 43 藩財政の窮乏と村々の負担
- 44 村の衰微と赤子養育仕法
- 45 交通の発達と助郷制
- 46 庶民の行楽(湯治(とうじ)と参詣(さんけい))
- 47 駈入(かけい)りと駈込(かけこ)み寺
- 48 藩校と寺子屋
- 49 安積艮斎とその門人
- 50 郡山地方の近世文化(仏教)
- 51 郡山地方の近世文化 (俳諧・学問・美術)
- 52 戊辰(ぼしん)戦争と郡山宿
- 近代
- 53 新政権の発足と郡山 焼土(しょうど)から復興へ
- 54 大区小区制から地方三新法体制へ
- 55 「旧来ノ歳入ヲ減ゼザル」税制改革 ―郡山地方の地租改正事業―
- 56 自由民権運動と安積郡・田村郡
- 57 大槻原開墾と桑野村の誕生
- 58 安積開拓と安積疏水の開さく
- 59 村に学校ができた
- 60 新しい町村の出発
- 61 農業の近代化と商工業の発達
- 62 交通・運輸・通信業の発達
- 63 水道事業と電気事業の展開
- 64 日清・日露戦争と郡山地方
- 65 明治三十五年・三十八年の災害と凶作
- 66 教育制度の展開
- 67 帝国議会と郡山政界の動き
- 68 地主・小作制の展開
- 69 大正デモクラシーと米騒動
- 70 商工業都市郡山の発展と市制施行
- 71 普通選挙と郡山地方の政治・社会
- 72 近代郡山の文化活動(1)
- 73 近代郡山の文化活動(2)
- 74 東部電力争議と電気料金値下げの市民運動
- 75 昭和恐慌下の郡山地方
- 76 アジア・太平洋戦争と郡山(1) ―満州事変・日中戦争と市民生活・郡山文学―
- 77 アジア・太平洋戦争と郡山(2)
- 78 郡山の空襲そして終戦
- 現代
- 79 復興への道
- 80 民主政治のはじまりと労働運動
- 81 農地改革と産業の振興
- 82 新教育制度と社会文化活動
- 83 郡山市勢の進展
- 84 新産業指定都市 郡山
- 85 農業基盤の変化
- 86 新産業都市指定後の郡山(1)
- 87 新産業都市指定後の郡山(2)
- 88 公害対策
- 89 高度経済成長以降の郡山(政治)
- 90 郡山経済とバブル崩壊後の郡山
- 91 教育文化の進展と市民の文化活動
- 92 拡張する市街地
- 93 産業構造の変化
- 94 市の施設と市民生活
- 95 郡山地域の自然災害
- 96 洪水を減らした阿武隈川の大改修
- 97 教育、文化施設の充実
- 98 東日本大震災と原発事故災害(1)
- 99 東日本大震災と原発事故災害(2)
- 執筆者一覧(五十音順)
- 資料編
- 改訂を終えて
- 表紙・裏表紙の写真について
- 「郡山の歴史」編集委員会委員
- [奥付]