1 縄文時代以前

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 1946(昭和21)年、当時20歳の相沢忠洋は、群馬県新田郡笠懸(かさかけ)村(現・みどり市)の切通(きりとお)しの赤土(関東ローム層)の中から黒曜石(こくようせき)の破片を発見した。火山の噴火が多く、人間が住めるような自然環境ではないと考えられていた、火山灰が積もってできた層で発見したのである。相沢はその3年後、この地層から今度は黒曜石で作られた石槍を見つけた。この発見によって縄文時代を遡(さかのぼ)る文化の存在が確実となった。いわゆる「岩宿(いわじゅく)の発見」である。

 旧石器の存在が明らかになると、全国でこの時代の発見や発掘が相次ぎ、福島県でも、岩瀬郡鏡石町の成田遺跡で1947(昭和22)年に発見されていたナイフ形石器や石刃(せきじん)が旧石器とわかり、1955(昭和30)年に公表されている。