2 縄文時代の住まい

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 縄文時代の人びとは、直径あるいは一辺が4~5mないし7m程度の、地面を掘りくぼめた半地下式の竪穴住居をつくり、川沿いの高台などに住んでいた。住居の中にはさらに数ヵ所の小さな穴を掘り、そこに丸太を立てて上屋を組み立て、屋根は木の枝や茅(かや)で葺(ふ)かれた。冬には暖かく夏は涼しい竪穴住居に4~5人の家族が住んでいたと推定されている。縄文時代にはこのような住居が集まって集落を形成していたのである。

 一万数千年間続いた縄文時代は、緩やかに時が流れ変化に乏(とぼ)しい時代と考えられがちであるが、つぶさに見ていくと、集落の構成や住居内部の構造など一様ではない。それは、取り巻く環境が、時期や地域ごとに違っていたからであろう。

 大槻町の大槻八頭遺跡(やがしらいせき)(縄文早期、約6,500年前)では、長方形や楕円形の竪穴住居跡で、土間の中央付近には、火を焚いた炉跡が赤く残っていた。炉は、煮炊きに利用されたほか、暗いときの明かりになったり、冬には暖房の役目をもっていた。

 この時期の集落では、竪穴住居が濃密に分布するというものではないが、数棟が1ヵ所に集まって生活していた。


縄文早期の住居跡(大槻八頭遺跡)