2 食料の貯蔵

5 ~ 5

 縄文人のカロリー摂取に大きな役割を果たし、しかも堅(かた)い皮に包まれた木の実は、保存するのにも最適であった。それを裏付けるように、縄文時代の遺跡を発掘すると、しばしばこれらを貯蔵(ちょぞう)したであろう穴が発見される。例えば、縄文早期の熱海町新田(しんでん)B遺跡(約6,500年前)では、籠(かご)のような編(あ)み物とともにクルミが発見されているし、中期の富久山町妙音寺遺跡(みょうおんじいせき)(約4,500年前)では、大きな貯蔵穴(ちょぞうけつ)から33個もの土器が出土したことから、食料を土器に分けて貯蔵されたと推定されている。三春町の仲平遺跡(なかだいらいせき)でも、クルミを貯蔵した晩期(約2,500年前)の穴が発見されている。

 このように、地面を掘った屋外の貯蔵穴は、保管するだけでなく、一定の温度を保つことができるため、保存にも役立った。縄文時代の初めごろから、木の実の特徴をよく知った施設として屋外の貯蔵穴が頻繁(ひんぱん)に利用されたと思われる。保存食は、このような穴のほかに、竪穴住居内でも、土器や籠、皮袋(かわぶくろ)などに入れ屋根裏などに置かれたであろう。

 先の新田B遺跡で出土した籠のような編み物は、屋外の貯蔵穴から出土したものであるが、断面が丸い植物繊維を裂(さ)いて作られたもので、編み方をやや複雑にして装飾効果をあげている。早期にはすでに、このような入れ物が製作されていただけでなく、装飾効果にも気を遣(つか)っていた。この編み物は、大分県横尾遺跡で出土した、黒曜石の入った籠などと並んで、列島最古級であり、当時の入れ物と編み物技術の水準の高さを示している。


縄文中期の貯蔵穴(妙音寺遺跡)


縄文早期の編み物(新田B遺跡)