2 見慣(な)れない土器

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 縄文時代の遺跡を発掘すると、身近に手に入る材料で作られたものの他に、地元にはないものが出土することがある。それらには、数十から数百kmに及ぶ遠隔地(えんかくち)でしか見られないものも含まれている。

 縄文土器という名が付いたように、縄文時代の土器には多くの場合、縄目(なわめ)の文様が付けられている。ところが、新潟県を中心に分布する中期の土器には縄目がついていないものがある。燃えさかる炎(ほのお)に似ているために「火炎土器(かえんどき)」と呼ばれる土器がそれである。

富久山町の妙音寺遺跡(みょうおんじいせき)では、作り方が火炎土器に似ているだけでなく、焼き上がりの色や質感が地元のものとは思えない特徴のある土器が出土し、運ばれてきたものである可能性が高いと考えられている。このほかにも山王館(さんのうだて)遺跡や西田町の野中遺跡では、地元の粘土で作られたと思われるものの、特徴が火炎土器に類似した土器も出土している。

 また、田村町の鴨打(かもうち)A遺跡で出土した土器は、底の部分がどっしりとして、これも地元のものとは違うことがすぐにわかる。底部近くを強調したこのような土器は中部高地に多い。

 縄文土器は、表面に縄目と組み合わせて、別な工具を用いて文様を描いた。それらの工具の中には、近くでは得られない素材がある。曲木沢(まがきざわ)遺跡で出土した早期中頃の土器片には、海辺で採(と)れるサルボウやアカガイなどの口を押しつけた文様が見られる。


火炎土器(妙音寺遺跡)


中部高地の土器(鴨打A遺跡)


貝殻で文様をつけた土器片(曲木沢遺跡)